<金口木舌>ハンセン病児の作文


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 「なつかしいお母さん ぼくのためにいつもくる 雨の降る日にも面会にくる バスがなくてもあるいてくる ぼくのお母さん ほんとうにいいお母さん だけどかわいそうだ お父さんは死んだしぼくはこうして南静園にいる」

▼宮古島のハンセン病療養所「宮古南静園」に1981年まで稲沖小中学校があった。これは54年の小学4年男児の作文である
▼特別支援校などに長く勤めた嘉数睦(むつみ)さんは定年後、沖縄大学大学院で稲沖校などを研究、2012年、修士論文にまとめた。沖縄女子短大非常勤講師の傍ら続けた共同研究の成果を、8月に出版された加藤彰彦、横山正見編「沖縄のこどもたち-過去・現在・未来」(榕樹書林)に執筆した
▼作文の後半。「一人ぼっちで ほんとうにさびしいだろうな めんかいに来たら、病気のことと、勉強のことを聞く そしていつごろ家に帰れるかをかならず聞く だがぼくはいつもだまっている」
▼嘉数さんは本に「作者のように親の立場を察し、病気になった自分を責め、甘えたい気持ちを抑えている子は多い」と書いた。現在の病弱児の作文から「今も、病気や障がいを抱える子どもの心は変わらないのではないか」と語る
▼医療や制度は進んだが「病気を表に出しにくいことは変わらない」と嘉数さんは言う。どう向き合い、共有するか、社会全体が問われている。