<金口木舌>沈黙も絶望も赦されない


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 沖縄の自立と平和を語るときの心の支えを私たちは失った。沖縄の民衆運動と共に歩んだ新崎盛暉さんの訃報に接した時の脱力感を今も拭えない

▼初めてお会いしたのは1986年11月、日本兵に殺害された朝鮮人軍夫の慰霊祭がある座間味村に向かう船上だった。ラフな格好で甲板に陣取り、潮をかぶって苦笑いしていたのを思い出す。当時50歳、沖縄大学の若き学長だった
▼52年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効が沖縄との出合いだった。通っていた高校の校長が「日本独立」を祝い、万歳を呼び掛けたことに衝撃を受けた。沖縄分断の日である。「日本にとって沖縄とは何か」を問う原点となる
▼安倍政権は同じ行為を繰り返した。2013年の「主権回復の日」を祝う万歳だ。日本の為政者は沖縄に犠牲を強いて恥じようとしない。新崎さんが対峙(たいじ)した「構造的差別」の一端である
▼創刊に関わった季刊誌「けーし風」に回顧録を連載していた。執筆の参考にするためだろう。60年代から80年代の記事提供を幾度か頼まれた。連載は90年代を前に止まった。この20年余の沖縄の闘いがつづられるはずだった
▼新崎さんに「新たな思想は創れるか」という著書がある。前書きでは「われわれには、沈黙することも、絶望することも赦(ゆる)されない」と記した。正念場を迎えた沖縄に残したメッセージと受け止めている。