<金口木舌> “胆苦さ”の思い


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 母の故郷である伊平屋島に、海岸の白砂が吹き上げられてできた天然の砂山があった。子どもの格好の滑り台だった。ある夏、砂山が小さくなった。浜と山の間にアスファルト道路ができ、白砂が山まで届かなくなった

▼しかも道路は行き止まり。素晴らしい砂山をつぶしてまで造る必要があるのか。不満を言うわが子に、母は言った。収入を得るためには公共事業が必要。自然は惜しいけど、島を出た人間に文句は言えない-と
▼最近「文句は言えないが」という同じせりふをよく聞く。本土で暮らすウチナーンチュからだ。多くが名護市辺野古の埋め立て承認劇に多くの人がやりきれなさを口にする。沖縄差別の時代を知る男性は「結局、沖縄は金という印象を全国に与えてしまった」と苦々しげ
▼県選出の自民党参院議員から埋め立て反対運動を事前に抑え込むべきだと主張が国会で出るに至っては、保守支持者ですら「沖縄で流血の事態が起きてもいいというのか」と疑問視する
▼作家で元外務相主任分析官の佐藤優さんは「離れているからこそ先鋭化する『遠隔地民族主義(ナショナリズム)』に陥らないよう気をつけている」と話すが、離れているからこそ見えるものもあろう
▼本土のウチナーンチュの誰もが、お金と引き換えに基地負担に甘んじることを了としない。故郷のひずみに“胆苦(ちむぐり)さ”する県出身者のことも忘れてはなるまい。