<社説>那覇市議会が意見書 第32軍壕の保存・公開を

 那覇市議会が、首里城地下にある第32軍司令部壕の保存整備と内部公開を求める意見書を全会一致で可決した。全会一致の意味は重い。

 第32軍司令部壕は住民を巻き込んだ激烈な沖縄戦を指揮した場所である。本土防衛のため軍の作戦が優先され、住民の生命や安全は無視された。沖縄戦の実相を伝える「近代戦争遺跡」として保存・公開することを強く求める。
 第32軍司令部壕は、1944年12月から構築作業が始まった。総延長約1キロ。激しい空襲や砲撃を想定し、首里城の地下15~30メートルに築かれた。沖縄師範学校や県立第一中学校の生徒も陣地構築に動員されたが、米軍が上陸した時点で完成していなかった。
 地下に司令部があったため、首里城は米軍の攻撃で破壊された。45年5月22日、第32軍は司令部壕を放棄して南部撤退を決定する。このため南部に避難していた10万人の住民が巻き添えになった。住民虐殺、壕追い出し、食料強奪などが頻発した。南部撤退は本土決戦準備のための時間稼ぎだった。
 軍にとって住民は眼中にない。神直道32軍司令部航空参謀は、軍と住民の関係についてこう述べている。
 「軍隊は敵のせん滅が役目。住民を守ることは作戦に入っていなかった。住民は大事だが作戦にとっては足かせになる。純粋に軍事的立場からは住民を守るゆとりはない」。軍隊は住民を守らないという沖縄戦の教訓を、軍幹部が認めているのである。
 では32軍の作戦とはいかなるものだったのか。軍は中学生以上の男女学徒二千数百人を戦場に動員した。17歳から45歳までの地元男性2万5千人を防衛隊として召集した。13歳の少年や70歳を超える老人も駆り出された。補給物資の運搬、食料の調達で米軍の砲火に身をさらされ、夜間の斬り込み、戦車への体当たり攻撃を命じられた。
 本土決戦に向けて大本営陸軍部は、まだ組織的戦闘が続く6月20日、「沖縄作戦の教訓」をまとめている。「教訓」は、急造爆雷を担がせ、体当たり攻撃させたことが「威力は大」と記述している。生還することを許さない、陸の特攻である。
 司令部壕内の取締規定が長参謀長名で定められている。「沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜(スパイ)ト見ナシ処分ス」。司令部から発せられたこの指令に32軍の沖縄住民観が表れている。
 実際に司令部壕近くで住民がスパイ容疑で斬殺されたという証言が残っている。
 首里城が交易で栄えた琉球国を知る「平和の遺産」だとすれば、司令部壕は「負の遺産」である。焼失した首里城を再建し、司令部壕を保存・公開することによって、沖縄の歴史が浮かび上がる。県は25年前、保存・公開に向けた整備構想(知事公室平和推進課)をまとめている。あとは行動に移すだけである。



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