女性蔑視発言で国内外から批判を浴びる東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が、辞意を固めた。辞任を求める世論の高まりに押し切られた形で、12日の組織委で表明するという。
本来であれば発言を撤回するとした時点で、責任を取って辞任すべきだったはずだ。遅きに失している。ジェンダー平等や個人の自由への意識が低い国として、国際社会における日本の地位を低下させた責任も重大だ。
東京五輪の運営やスポーツ界が信頼を取り戻すためには、大会組織委の会長を替えるだけでは十分ではない。ましてや組織に残り影響力を行使するなどもってのほかだ。男性中心や上意下達がはびこる組織のうみを出し切り、多様性と透明性の尊重を国民に示していく改革が必要だ。
森氏は3日の日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「組織委の女性はわきまえている」などと発言した。性別とは関係ないレッテル貼りで偏見や差別を増長させることに加え、自由な意見を言わせない言論封殺という問題もはらんでいる。
多様性を重んじる現代社会にあって時代錯誤も甚だしい。失言を繰り返す森氏に、五輪を率いていく資質がないのは当然だ。だが、問題は森氏個人だけではない。
今回の発言は、スポーツ界に巣くうパワハラ的な体質を表出させたともいえる。大学アメリカンフットボールの悪質タックル問題のように、閉鎖的な組織内の暴力やセクハラが問題になってきた。
森氏の発言にアスリートからも厳しい批判の声が上がる中で、組織委やJOCの自浄作用は働かなかった。異論を排して意思決定を進めるトップの振る舞いを、組織が容認してきたことを自覚し、本来の理念に立ち返ることだ。
五輪憲章はあらゆる差別を禁じており、中でも男女平等の理念は大きな柱の一つだ。
国際オリンピック委員会(IOC)は9日に、森氏の発言を「完全に不適切だ」とする声明を発表した。当然の見解だ。だが、一時は「この問題は決着した」と不問に付しており、不可解さが残る。
東京五輪の開催には、IOCのバッハ会長と緊密な関係を築く森氏の存在が不可欠と言われてきた。一方で、五輪の運営は複雑な利害が絡み合い、招致活動における不透明な金の流れなどの問題も指摘される。国民の信用を取り戻し開催に向かうならば、透明性と情報開示が必要だ。
政府与党は事態の沈静化を図ろうとし、菅義偉首相が森氏に辞任を求めることはなかった。五輪ボランティアの辞退続出にも、自民党の二階俊博幹事長は「辞めたいなら新たに募集する」と意に介さず、火に油を注いだ。
時代錯誤の認識を擁護してきた政治の体質こそ、厳しく問わなければならない。