<社説>五輪組織委迷走 民主的手続きを尊重せよ


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 東京五輪・パラリンピック組織委員会の迷走が続いている。女性蔑視発言の責任を取って、12日に森喜朗氏が会長辞任を表明したものの後任は決まらなかった。

 森発言を受けた混乱からは日本のあしき慣習が浮き彫りになった。議論を軽視してトップダウンや根回しを図る。責任の所在を曖昧にする。密室協議による権力委譲。外圧がなければ自浄作用も働かないといった出来事だ。
 後任会長には橋本聖子五輪相らの名が挙がっているが、現状では誰が会長に就任しても国際的な信用は得られまい。組織委に必要なのは、開かれた議論ができる、民主的手続きを尊重する体制を築くこと以外にない。
 女性蔑視発言以来、森氏の意識のありようが取りざたされたが、個人の問題で終わらせては教訓が残らない。
 「文科省がうるさく言う」から女性を登用するが、会議に「時間がかかる」。発言機会が少ない人物は「わきまえて」いる。森発言の根底には、意思統一や方針決定から異論を排除する論理がある。
 声を上げるとされた対象が今回は「女性」だったが、安保法制論議の際は若者をはじめとする危機感を持つ人々であり、日本学術会議の任命問題では「学者」であった。
 権力者にとって異論と判断されれば、それを認めない日本社会の在り方が問われる。
 森氏が謝罪した後も政府は任命権がないと関与しなかった。しかし菅義偉首相は組織委の最高顧問である。
 日本オリンピック委員会(JOC)だけでなく、国際オリンピック委員会(IOC)ですら、一時は謝罪したから不問の立場を取った。組織委は謝罪会見の前に、森氏を慰留したとされる。形だけでも謝れば、いつしか人は忘れるだろうという無責任な構図が透けて見える。
 閣僚の不祥事や首相自身の疑惑など幾つもの問題にほおかむりしてきた前政権の手法と通じるものがある。
 そうした「日本的慣行」に異議を唱える国民の声は果たして政府や組織委、JOCに届いていただろうか。確かに森氏の功績はあったのだろうが、五輪憲章と相いれないトップを容認する日本を国際世論は許さなかった。
 IOCが一転して「(発言は)完全に不適切だ」と対応を変えたのは、大手スポンサーの圧力があったとみられる。
 辞意を表明した森氏が後継に初代Jリーグチェアマンなどを務めた川淵三郎氏を推そうとしたのも時代錯誤としか言いようがない。
 小渕恵三元首相の急死により、森氏が後継首相に選ばれたのは自民党幹部「5人組」による密室協議だった。そのような手法が国際的な信用が必要な組織で通じると思ったのだろうか。
 透明性が必要なのはトップ人事だけではない。平和の祭典を運営するにふさわしい組織の在り方が求められる。