<社説>大龍柱「相対向き」 最新の研究成果生かせ


社会
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 国の「首里城復元に向けた技術検討委員会」が当面の方針を明らかにした。来年10月にも正殿の本体工事に着手するとしたほか、防火対策、木材、瓦、彩色、彫刻などについて方向性が示された。

 関係者の努力に敬意を表するものの、県民の関心を呼んできた大龍柱の向きについて「暫定的な結論」として前回を踏襲すると決定したことには疑問を禁じ得ない。最新の研究成果を踏まえて、もっと幅広い議論を重ねるべきだ。
 大龍柱の向きを巡っては前回復元時にも議論となった。結局、1768年の「寸法記」、1846年の「御普請絵図帳」で相対向きで描かれていることを根拠に相対向きになった経緯がある。正面向きを主張する専門家は、根拠となった絵図は形を認識しやすいように横向きに描いたものだと指摘してきた。
 一昨年の焼失により再建することになってこの問題が再燃し、1877年にフランス海軍が撮影した写真で大龍柱が正面向きだったことが分かって、さらに議論が広がった。今回の技術検討委の発表に対し2日、研究者・市民らの3団体が抗議声明を発表した。
 技術検討委では、フランス海軍写真の発見を受けて古文書を再調査したが、1846年の「御普請絵図帳」から1877年のフランス海軍写真の間に向きが変更された経緯を確認できる証拠は発見できなかった。結局、今回の方針発表では「(変更があった経緯を示す)明快な資料や認識が提示されるならば、当然のことながら、ここで述べた結論は再検討されることになる」として「暫定的な結論である」と強調した。
 沖縄県教育委員会の「沖縄県史・図説編・前近代」でも向きが変遷してきたとして、「寸法記」以前は正面向きで、「寸法記」時の改修で相対向きになったと説明している。同時に、相対向きになった後も正面向きの絵図が多く描かれていることを紹介している。
 もし、「寸法記」が形を認識しやすいように横向きに描かれたのだとすれば、大龍柱の向きは変遷はしておらず一貫して正面向きだったことになる。そうなら「寸法記」以後の絵図に正面向きのものが多くあることも説明できるのではないか。大龍柱のノミ跡が正面向きを示しているという研究も、検討に値するのではないだろうか。
 いずれにしても、今回の復元には最新の研究成果が全て生かされるべきであり、専門家、関係者だけでなく広く県民の納得と支持が得られるよう、公開の場で議論を重ねる必要がある。
 大龍柱が強い関心を呼んでいる背景には、首里城再建が県民の主体性と総意の下で行われるべきという県民の熱い思いがある。それは首里城地下の32軍壕跡の保存・公開を求める思いとも重なる。沖縄県にも、国と対等に、県民を代表する立場から復興事業を推し進めるよう望みたい。