<社説>原発事故国の責任否定 原発政策への信頼失墜


社会
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 東京電力福島第1原発事故で避難した住民らが国に損害賠償を求めた集団訴訟で、最高裁は、国の賠償責任を認めない判決を言い渡した。約30件の同種訴訟のうち、福島、群馬、千葉、愛媛の各県で起こされた4訴訟での統一判断で、最高裁判決は初めてだ。

 最高裁は東電に対策を取らせていても実際の津波は想定より大きく、事故に至ったと判断した。想定できないから免責されるという論法なら「地震大国」の日本で原発は稼働させてはならないだろう。
 想定外であっても原発政策を推進してきた国の結果責任は免れない。事故対策は原発政策の根幹だ。今回の事故で国の責任を認めないのなら国の原発政策はもはや信用できない。信頼は地に落ちたも同然だ。
 4訴訟で原告側は、政府の地震調査研究推進本部が2002年に公表した地震予測「長期評価」に基づけば巨大津波の襲来は予見できたと主張した。長期評価の信頼性や予見可能性が主な争点になったが、判決はこれらに判断を示さず、地震の規模は長期評価の想定よりはるかに大きかったとし、試算に基づき防潮堤を設置しても、事故は防げなかったと結論付けた。ほぼ国の主張に沿う内容だ。
 この判断で国に責任はないとするのは乱暴だ。事故はタービン建屋に給気口から津波が入り、非常用配電盤の浸水により核燃料の冷却機能が失われたために起きた。長期評価や試算結果を踏まえて給気口のかさ上げ、配電盤や発電機を高台に設置するなどの対策が取られていれば、事故は起きなかったはずだ。
 長期評価に基づく対策をしていた場合、どのようになっていたのかなど最高裁はシミュレーションをしていないとみられる。対策を講じていれば少なくとも避難地が広範囲に及ぶことはなかった可能性が高いと専門家は指摘する。
 4訴訟のうち二審段階で群馬以外の3訴訟は国の責任を認めた。愛媛県の高松高裁は、国が基幹発電と位置付け、原子力政策を推進してきた事実を踏まえ「国の責任範囲を限定するのは相当ではない」として国の責任を認めた。
 今回の最高裁判決でも裁判官4人中1人が反対意見を付けた。経済産業相の過失に言及し、適切な措置を取らなかったことで「事故との因果関係も認められ、損害賠償責任を免れない」と断じた。「極めてまれな災害も未然に阻止するために必要な措置が講じられるよう(権限が)適切に行使されるべきだった」とした。国の不作為を批判したのだ。
 岸田文雄首相は先月、「エネルギーの価格安定、安定供給、温暖化対策を踏まえた場合、安全性を大前提に原子力を最大限活用していくことは大事だ。しっかりと進める」と述べ、再稼働を急ぐ方針だ。しかし福島原発事故の責任を取らず、司法の追認にあぐらをかくのなら、再稼働への国民の信任は到底得られない。