<社説>八重山高優勝 甲子園へ夢を咲かせよう


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 八重山高校野球部員は34人いる。決勝の舞台に来られたのはベンチの20人、スタンドの5人だけだった。だが学校に残った仲間も同じように喜びを分かち合ったに違いない。沖縄の球史に新たな歴史を刻んだ勝利は、全員で勝ち取ったものだからだ。

 11日に決勝があった県高校野球秋季大会は八重山高が初優勝を飾った。かつて離島勢は練習相手が少ない地理的なハンディや遠征費がかさむなどのマイナス面があるといわれた。現在もそうした課題は残されているが、今回の快挙は、選手の努力や指導者、応援する住民の力によって離島のハンディを打ち破る力があることを教えてくれる。
 まずは選手たちの頑張りだ。大会5試合を通じてわずか二つの失策しかない鍛えられた守備や、決勝で見せたように相手の隙を突いて得点するそつのなさもあった。
 準決勝はリードされた場面で選手が自主的にミーティングを行い、逆転劇につなげた。
 仲里真澄監督は練習中に口出しせず、選手に自ら考えさせるよう努めたという。普段からの積み重ねが本番でも存分に生かされた。
 さらに1988年に結成された「八重高を甲子園に行かす会」(現在は「八重山から甲子園に行かす会」)といった住民たちの支えがある。
 もともと八重山は「陸上王国」といわれ、多くの名選手を輩出した。素質は十分だが、離島ゆえの情報の少なさから自らの才能に自信が持てなかったり、島外の強豪校に進学したりして、地元に活躍の場をつくることが難しかった。
 大きな転機は2006年に春夏連続で甲子園に出場した八重山商工高の存在だ。小中学生の時からの仲間で甲子園出場を勝ち取った。エース大嶺祐太投手(現プロ野球・ロッテ)の入団をきっかけに、ロッテが石垣市でキャンプを行うようになったことも奏功した。
 大嶺投手のように、離島から全国やプロで活躍できる。そんな夢を子どもたちが身近に感じられる環境ができた。
 八重山高が優勝した同じ日、浦添市民球場では中学野球の決勝があり、石垣中が優勝した。「野球どころ」八重山勢の快進撃を共に喜びたい。
 この勢いで九州大会を勝ち抜き、八重山2校目となる甲子園出場を勝ち取ってほしい。八重山郡民の夢が花開く日が今から待ち遠しい。