<社説>岩国騒音訴訟 何のための裁判制度か


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 この1、2年、日銀に加え、内閣法制局まで首相官邸の意図に従う機関となった。もはや独立した判断を放棄したように見える。

 そこに裁判所までもが政府に従属したかのような判決だ。米軍と海上自衛隊が共同使用する岩国基地(山口県)の自衛隊機や米軍機の夜間・早朝の飛行禁止を国に求めた訴訟で、山口地裁岩国支部は、米軍機も自衛隊機も、いずれの飛行差し止めの訴えも退けた。
 損害賠償は認めたから、裁判所は発着時の騒音が違法なものであるのは認めたことになる。それなのに飛行を止めないのは、違法を容認するに等しい。これで法治国家と言えるのだろうか。裁判所が、司法の役割を自ら放棄したかのような判決が残念でならない。
 米軍基地周辺の爆音訴訟ではこれまで、「国の支配が及ばない第三者(米軍)に対する原告の訴えは失当」とする、いわゆる「第三者行為論」を採用してきた。今回も踏襲し、米軍機に関しては「国の規制権限が及ばない」という理由で飛行差し止めを退けた。
 だがイタリアの米軍基地では、米軍機は飛び立つたびにイタリア側の許可を必要とする。だから昼寝の時間帯ですら飛行させないことになっている。自国の空を自国でコントロールするのは当然の話だ。同じ第2次大戦の敗戦国が当然実施していることが日本では実現できない、その事態を裁判所も追認するのである。これでは独立国とは言えない。
 厚木基地(神奈川県)の第4次訴訟では、一審に続き7月の東京高裁判決でも、米軍機では認めなかったものの、自衛隊機の夜間・早朝の飛行差し止めは認めた。
 だが今回の岩国支部判決は、自衛隊機の差し止めも認めなかった。「行政訴訟でなく民事訴訟で争うのは不適法」との判断だ。厚木は民事と行政訴訟を併せて起こしている。その点が異なるとはいえ、やはり後退と言わざるを得ない。
 結果として、軍隊の不法行為を、またそれを放置する行政の不作為を、裁判所が追認するという構図は変わらない。この国には三権分立も存在しないのかと失望を禁じ得ない。
 嘉手納でも普天間でも厚木でも横田でも、爆音訴訟は繰り返し起こされ、そのたび国は賠償を命じられてきた。だが爆音は一向に減らず、むしろ激化した。この国の裁判制度は何のためにあるのだろう。