<社説>基地引き取り 本質的議論を深めたい


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 深く考えさせられる問題提起だった。在沖米軍基地に対する本土での「基地引き取り」のことだ。沖縄国際大沖縄法政研究所が開いたシンポジウムは、この「引き取り」について真っ向から討論した。

 全国的には日米安保の支持率は9割近い驚異的な高さに達する。安保とはすなわち日本に米軍基地を置くことを認めることだ。そして県外移設がない限り、これは沖縄に置き続けることを意味する。人口比で1%の沖縄がいくら反対しても、99%の側が肯定するなら、永久に沖縄に基地が置かれ続けるのである。
 問題はなぜ本土で安保肯定がこれほど多数であるかだ。1950年代以降、本土の米軍基地は続々と沖縄に移された。例えば普天間基地の海兵航空団も76年に安倍晋三首相の地元山口県の岩国基地から移転したのである。
 本土でも60年代までは安保反対派も多かった。肯定派が圧倒的多数になったのは、沖縄に押し込めることで本土で「安保が見えなく」なったからだろう。事件事故も爆音も、犯罪容疑者を逮捕すらできない日米地位協定の不平等ぶりも、だから「人ごと」だ。これらが「見えない」から、修正を求める世論が沖縄以外では高まらない。
 哲学者の高橋哲哉氏が「日本人が安保支持という政治的選択をした以上、その負担とリスクも負うべきだ」と指摘したのは、その意味でまことにもっともである。
 基地の撤去も地位協定改定も日米間の交渉次第だ。そしてこの交渉は世論の強い後押しがあって初めて可能である。基地をめぐる圧倒的な理不尽を正すには、広く社会が問題を直視し、世論を高めることが不可欠であろう。県外移設こそ、この深刻な問題を真の解決に導く、現実的かつ必要な道筋ではないか。「引き取り論」はそんな問い掛けを含んでいる。
 従来、沖縄側は「自分が苦しんでいるものを他人に味わわせるのはしのびない」と、正面からの県外移設要求を避けるのが一般的だった。だがこれは「他人には押し付けないが、自分の子孫には押し付ける」態度ではないか。であれば、われわれも正面から向き合うべきだろう。
 基地問題は日本の安全保障のありようを問うだけではない。差別的基地集中を許すか否か、国家の品格も問うているのである。「引き取り論」を機に、全国でそのような本質的議論も深めたい。