<社説>「島マス塾」廃止 活動の糧見詰め再開模索を


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 沖縄戦後の混乱期に、コザを拠点に戦災孤児や生計を立てられない母親や女性に救済の手を差し伸べた故・島マスさんの福祉理念を継ぐ「島マス記念塾」が2016年度から廃止される。

 多くの人材を輩出した塾の功績は大きいだけに、中部の名物人材育成塾の閉鎖が残念でならない。
 社会人を対象に「地域を知り、地域を愛し、地域を誇る人づくり」を掲げ、1993年に開設されて以来、23年間で404人が巣立った。議員や自治体幹部職員、教師、経済人など、卒塾生は多分野で地域おこしなどに携わっている。
 島マスさんの信条でもあった、人の痛みをわが事と受け止めて行動する「肝苦(ちむぐり)さん」の精神を実践し、阪神・淡路大震災や東日本大震災の被災者支援の募金活動、沖縄市の銀天街活性化支援などにも卒塾生を含めて取り組んできた。
 沖縄市社会福祉協議会が設立主体となった活動は全国的に注目され、1998年に自治大臣賞も受けた。塾生は月2回の講義で多彩な講師陣から福祉、沖縄の文化、街づくりなどを学び、賛否に分かれた討論「ディベート」に挑んだ。
 充実した講座は塾生の発想力と発信力、対話力、地域に向き合う眼力を養った。活動の糧を見詰め直し、マスさんの思いを継ぐ新たな形の再開を模索してほしい。
 運営費捻出が困難になったことが廃止の理由だが、背景に目を注がねばならない。塾の運営資金の自主財源は、市補助金と市社協会費、共同募金からの配分金、受講料などだった。
 沖縄市の自治会加入率が3割余に低下し、加入率に応じて社協に払い込まれる会費や地域募金が落ち込んでいた。市社協の収入は10年間で500万円超も減り、経費節減にも限りがあった。地域の絆が薄れつつあることが社協の運営を直撃し、間接的な閉塾の要因になった。県内の他の市も自治会加入率低下に頭を痛めている。
 孤児らの居場所をつくった島マスさんは「福祉は人が進めるものだ」と語り、制度よりも「肝苦さん」の心を持つ担い手が重要だと説いた。
 地域、住民がつながることで苦しむ人を支える環境が整う。県内の子どもの貧困が深刻化する中、相互扶助の基盤となる地域の絆が弱くなることは避けねばならない。
 島マス記念塾廃止を機に「肝苦さん」の深い意味を考えたい。