<社説>代執行訴訟結審 自治と法理を尊重せよ


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 地方自治と民主主義、人権が今、剣が峰に立っている。

 辺野古新基地建設に伴う埋め立ての承認をめぐる国と県の二つの訴訟が福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)で結審した。同支部にはぜひ、地方自治と法理を尊重した判決を下してもらいたい。
 現実社会に適用する以上、法の解釈は「人権が尊重され民主主義が確立した社会の構築に奉仕する」ものでなければならない。県側が最終弁論で特に強調した点だ。まさにそこが問題の本質である。裁判所はこの点を閑却してはならない。
 翁長雄志知事の埋め立て承認取り消しを違法だと国が訴えた代執行訴訟では、裁判所が示した和解案に対する県と国の対応が焦点だ。
 和解案のうち「暫定的」な案について県側は肯定的だ。逆に国は否定的である。暫定案は、国が代執行訴訟を取り下げて工事を停止し、県と再協議するというものだ。
 国と自治体が折り合わない場合、国の「是正指示」などを経て、より強権性の低い違法確認訴訟などで争うのが地方自治法の予定する筋道だ。今回、国はそれらを飛ばして一挙に、代執行という最も強権的な手段に出た。地方自治の否定以外の何物でもない。裁判所は法理に合わないこの強権性を直視してもらいたい。暫定案を一顧だにしないさまを見据えてほしい。
 「根本的」とされる案は、県が取り消しを撤回し、国が30年使用期限か軍民共用を米側と再交渉するという案だが、新基地を前提とするのだから論外だ。そもそも使用期限も軍民共用も米側が拒めば終わりだ。条件として成り立っていない。県が否定的なのも当然だ。
 一方、国は根本案の修正案を出す方針と伝えられる。「修正案」と言えば柔軟に聞こえるが、根本案の否定にほかならない。それなのに柔軟を装うのは詐称である。これが通じるのなら、県も、使用期限や軍民共用でなく、県外移設を再交渉する案を「修正案」として出せばよい。
 国の「柔軟姿勢」の詐称性を、裁判所は見誤らないでもらいたい。
 今回は稲嶺進名護市長が証人尋問に立った。戦後70年、基地を押し付けられ、「さらに100年以上固定化され、事件事故を一身に背負わされる」理不尽を訴えた。「人権を否定される歴史から私たちを解放してほしい」という訴えは沖縄の声を代表している。裁判所は正面から受け止めてほしい。
英文へ→Editorial: In Henoko lawsuit, court ruling must respect local autonomy and legal principles