<社説>高浜原発差し止め 司法の良識が表れた


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 福島原発事故から正しく教訓を引き出した決定だ。経済効率より命が大切という理念を示した点に、司法の良識を見た思いがする。

 関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の運転を差し止める仮処分を大津地裁が決定し、原子炉が停止した。稼働中の原発を司法が止めたのも初めてなら、新規制基準に適合した原発を止めたのも初めてだ。
 決定が投げ掛けた意味を受け止めたい。最大の意義は、原発の安全性をめぐる検討を、原発に利害を持つ「原子力ムラ」による内輪だけの議論から開放したことだ。
 従来の原発差し止め訴訟は、国の設置許可を根拠に住民の訴えを退けてきた。だが今回の決定は「国の設置許可のみで安全性検討の証明にはならない」と述べる。
 国の許可を金科玉条とする従来の姿勢から離れ、安全性に関して具体的・本格的な立証を求めているのだ。国の安全神話に寄り掛かるだけでは福島の惨禍を防げなかったという自省があるのだろう。
 新規制基準への言及も興味深い。基準に基づく備えで十分という社会的な合意があるか、公共の安全の基礎と言えるのか。決定は「躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ない」と疑念を示している。「福島の事故は建屋内の調査が進んでおらず、津波が事故の原因と特定していいのかも不明だ」とも指摘している。
 事故の原因も不明なのに、新規制基準がその対策になっているというのは、論理的に矛盾する。決定はその矛盾を鋭く突いている。
 福井にある原発の差し止めを、滋賀の住民の訴えで認めた点も意義深い。再稼働の地元同意の手続きは立地自治体だけだが、より広範囲な周辺自治体の権利を認めたという点で画期的なのである。
 広範囲に放射性物質をまき散らし、最大40キロほど離れた地点まで避難を余儀なくされ、5年を経ても帰るどころか帰るめどさえ立っていない福島の現状を考えると当然だ。決定が「国主導による避難計画の策定」が必要とするのも得心がいく。
 結局、新規制基準が何の安全も保障していなかったことが浮き彫りになった。それを解き明かした今回の決定の意義は大きい。
 補償や最終処分も含めると原発の経費は膨大だ。百歩譲って利点があるとしても、「甚大な災禍と引き換えにすべきとは言い難い」。決定のこの点こそ、政府や電力会社が受け止めるべき点であろう。