<社説>普天間爆音訴訟結審 「人権の砦」の使命果たせ


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 ことしは戦後71年、復帰44年を迎える。だが米軍嘉手納、普天間両基地周辺を中心に、遮りようのない米軍機の爆音が日々、住民生活に重くのしかかり、県民は墜落の危険にさらされている。こんな状況がいつまでも続いていいのか。

 普天間飛行場周辺の住民ら3417人が騒音の発生源である米軍機の実質的な飛行差し止めや損害賠償を国に求めた第2次普天間爆音訴訟が、那覇地裁沖縄支部で結審した。年内には判決が出る見通しという。
 口頭弁論で島田善次原告団長が意見陳述し「切なる願いは米軍機の飛行差し止めだ。司法の勇気を見せてください」と訴えた。
 基地周辺住民らの苦しみ、爆音被害の実態を裁判所は直視し、「司法の勇気」の意味をしっかり受け止め、考えるべきだ。主権国家として、司法のあるべき姿を示さなければならない。
 第1次訴訟は周辺住民約390人に約3億6900万円を支払うよう国に命じた2010年7月の
福岡高裁那覇支部判決が確定した。
だが飛行差し止めは認められなかった。嘉手納、厚木や横田基地でも爆音訴訟のたびに、国は賠償を命じられてきた。爆音の違法性が認定されたのだから、除去されなければならないはずだ。だが放置され続けている。飛行を止めないのは違法性を容認するのと同じだ。
 忍耐の限度を超え、違法性が認定された爆音であっても、この国の裁判所は、米軍の運用に日本の法支配が及ばないとする「第三者行為論」で退け、最も効果的な救済策である飛行差し止めを認めない。これは司法による住民救済の放棄としか言いようがない。
 裁判所は「静かな生活」を求める基地周辺住民の切実な訴えに耳を傾け、住民の命と静穏な環境を守るため、「第三者行為論」の呪縛、思考停止状態から踏み出して米軍機飛行差し止めの判断を示すべきだ。根本的救済に乗り出すことが司法に課せられた責務だ。
 憲法で保障された住民らの人格権、環境権、平和的生存権が著しく侵害されている状況は明らかだ。憲法よりも日米安保条約、爆音被害に苦しむ住民らの人権、生活よりも米軍機飛行を優先する理不尽な状況を放置してはならない。
 裁判所は「人権の砦(とりで)」としての使命を十分に果たすべきだ。人間として当然の要求に、司法が真摯(しんし)に向き合うのかが問われている。