<社説>社民、民進合流 まず政策を協議せよ


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 唐突な合流話だ。社民党の吉田忠智党首が12日の常任幹事会で「民進党との合流も一つの選択肢として考えなくてはならない」と発言した。安倍一強政権に対抗する野党連携が進まないことへの焦りもあるだろうが、政策の協議もせずに合流を図るとすれば、その大義はどこにあるのか。

 「55年体制」下で自民党の対立軸として安全保障や社会政策で違いを打ち出していた社民党(当時・社会党)が、自民党と手を握り自社さ政権をつくって日本中を驚かせたのは1994年だった。首相には村山富市社会党委員長が就いた。
 これが皮肉にも同党の衰退の始まりだった。
 村山元首相は戦後50年に当たる95年に、過去の植民地支配と侵略への痛切な反省とおわびを明記した「首相談話」を初めて発表するなど社会党らしさを発揮した。一方で自衛隊合憲、日米安保体制の容認など党の基本政策を次々と転換した。96年には党名を社民党に変更し、再生を図ったが、その後誕生した民主党(現・民進党)に所属議員が移るなどして党勢の衰えは止められなかった。
 約20年前に4万人だった党員・協力党員は約1万6千人(2015年10月末時点)に減少。所属議員は衆院2人、参院3人しかいない。選挙区での当選は照屋寛徳衆院議員(沖縄2区)だけだ。
 夏の参院選では吉田党首と福島瑞穂副党首が改選を迎えるが、13年参院選の比例得票数は約126万票で、1議席しか確保できなかった。得票が前回並みにとどまれば吉田氏と福島氏のいずれかが落選する可能性がある。その焦りが合流発言につながったようだ。
 しかし両党は護憲、消費増税、原発、安全保障で隔たりがある。
 辺野古新基地建設についてもそうだ。社民党は、09年の民主党政権誕生時には連立を組んだが、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対し続け、政権を離脱した。大きな差は埋められていない。
 複数政党共闘のモデルと言われるオール沖縄には「辺野古新基地建設反対」という強い結束点がある。
 政策のすり合わせもなく、夏の参院選に向けた合流というのであれば、党の生き残り策としかみられない。有権者が求めているのは現政権と政策を比較して票を投じられる対立軸であり、選挙ありきの野合ではない。