<社説>基地引き取り論 運動の広がりに期待する

 沖縄の基地問題は、軍事理論をめぐる悠長な論議ではない。人権の問題だ。構造的差別・植民地主義をなくすか、今後も続けるかという問いなのである。

 このことをあらためて鋭く意識させられる討議だった。在沖米軍基地の本土引き取りを考える大阪でのシンポジウムのことだ。
 基地の本土引き取り論を提唱する人々は、無邪気に日米安保と米軍基地を肯定するのではない。沖縄の米軍基地偏在は本土から移設した結果であり、本土からの基地押し付けであるという認識が大前提だ。つまり、日本人による差別だと自覚した上で、差別するという立場をやめたいという意思表示なのである。
 基地の由来についての知識と植民地主義に関する深い理解、鋭い人権意識が融合した結果だろう。その誠実な姿勢に敬意を表する。運動の広がりに期待したい。
 引き取り論は大阪、福岡に始まり東京、長崎、新潟へと広がっている。「引き取りの可能性はゼロ」という見方もあるが、仮にそうだとしても運動は無意味ではない。それどころか、圧倒的多数が拒否する過程そのものが、本土の利益のために沖縄を差し出すという構図を、分かりやすい形で示すのではないか。構造的差別の克服・解消に資するのは確かだ。
 「どこにも基地はいらない」という主張が従来言われてきた。「自分が苦しんでいるものを他人に味わわせるのは忍びない」という感情もある。確かに軍事基地は世界中で存在しない方が望ましい。しかしその論にとどまると、世界全体の平和が実現するまで沖縄は基地を負担し続けることになり、「他人には押し付けないが自分の子孫には押し付ける」ことになる。
 過去20年、沖縄は不平等な日米地位協定の改定を求めてきたが、国民世論はほとんど動かなかった。圧倒的多数の日本人にとり、基地問題は「人ごと」だからだ。この「人ごと」の論理を突き崩さない限り、基地問題は動かない。
 日本人の86%が日米安保の維持・強化に賛成している。割合は年々高まる一方だ。県外移設が具体化して初めて国民全体が安保の負の側面を直視することになろう。基地引き取りには「安保肯定論」との批判もあるが、高橋哲哉東大大学院教授の言う通り、「安保解消を目指す道筋としてむしろ不可欠」ではないか。そうした議論を深めたい。



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