<社説>甘利氏活動再開 国民が納得する「けじめ」を


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 これが1月の会見で口にした政治家としての「美学」「生きざま」「矜持」なのだろうか。甘利明前経済再生担当相が現金授受問題の説明責任を果たさぬまま、政治活動再開を表明した。

 甘利氏は閣僚辞任を表明した1月以降、病気療養を理由に国会を欠席していた。東京地検特捜部が甘利氏と元秘書を不起訴処分とし、国会も閉幕した直後の活動再開宣言である。疑惑が全て晴れたと考えたならば間違いだ。
 辞任表明時に確約した弁護士による調査は4カ月以上たつが、いまだ国民に結果が説明されていない。国会は休会中である。説明責任を果たすことを優先すべきだ。
 だが、甘利氏は「調査の再開を弁護士にお願いした」と述べるとともに、議員活動再開を明言した。強い違和感を禁じ得ない。国民の理解は到底得られまい。
 甘利氏の説明などによると、建設会社の陳情を受け、元秘書が2013年6月に都市再生機構(UR)職員と面会し、8月にはURが約2億2千万円の補償費を建設会社に支払う契約が成立した。建設会社は同じ月、元公設第1秘書に500万円を提供。13年11月と14年2月に各50万円を甘利氏に渡した。元秘書が「甘利事務所の顔を立てて」とURに持ち掛けていたことも明らかになっている。
 だが、特捜部はあっせん利得処罰法違反など二つの容疑について「十分な証拠がなかった」として不起訴とした。国民からすれば、不正な口利きで利益を得たとしか思えない。捜査が尽くされたか疑問である。不起訴処分を不服として弁護士団体などが検察審査会に審査を申し立てている。強制起訴を求めたい。
 あっせん利得処罰法が「ザル法」と言われて久しい。不起訴処分は法律の欠陥によるものとみるべきである。議員立法で成立した以上、国会は「口利きのために金をもらえば即違反」とするなど、実効性あるものに改正する使命があることを忘れてはならない。
 甘利氏は1月の会見で「閣僚のポストは重い。しかし、政治家としてのけじめをつけること、自分を律することはもっと重い」と述べた。政治不信を招いた責任も重く受け止め、国民が納得できる「けじめ」をつけるのが筋である。現金授受問題の全容を明らかにした上で、議員を辞職すべきだ。