国による過剰な干渉であり、明らかに教育の自由を脅かす行為だ。
前川喜平前文部科学事務次官が2月に名古屋市立中学校で講演した授業について、文科省が市教育委員会にその内容を子細に問いただすメールを送っていた。個別の授業内容調査は異例で、学校への圧力と指摘せざるを得ない。
この要請の前に、地元の自民党衆院議員が文科省に複数回問い合わせていたことも判明し、教育への政治介入の懸念も出てきた。教育行政の在り方も問われよう。
現場を萎縮させるような不当な調査は慎むべきで、文科省は今回の動機や経緯を明らかにする責任がある。
文科省は質問15項目をメールで送付し、目的や経緯、人選の妥当性などを根掘り葉掘り尋ねている。録音データの提出も求めた。市教委が回答した後も再度質問しており、その執拗(しつよう)さは尋常ではない。直接の命令ではなく、問い合わせという形で圧力を掛けるのも卑怯(ひきょう)なやり方だ。
前川氏が文科省の組織的天下り問題で引責辞任した後、加計学園問題に関して「行政がゆがめられた」と発言し、安倍政権を批判していることも調査した理由なのだろう。
介入の背景に政治家の影が疑われるのなら、再び「行政がゆがめられた」ことになってしまう。
林芳正文科相は問題はなかったとの認識を示し、「必要に応じて事実関係を確認するのは通常のこと」と主張している。教育行政トップとして認識が甘過ぎる。
戦前は国家が教育に深く介入し授業内容を統制した。各教科で軍事色が強く打ち出され、皇民化教育を推し進めて、戦意高揚をあおった。
その反省を踏まえ、戦後の教育基本法は、教育が「不当な支配に服することなく」と規定して、教育権の独立をうたっている。それに照らすと今回の調査はまさに「不当な支配」そのものではないか。
地方教育行政法は文科省が教委を調査できると定めている。だが、法令違反やいじめなど緊急の対応が求められる場合に限られる。
学校教育は現場の自主性や裁量に任せるのが本来の姿である。国家権力は極力、口を挟まない方が望ましい。
教育基本法は2006年に全面改定された。「個人」よりも「国家」に重きを置く基調が強まった。愛国心も法律で規定した。
多様性や異論を認めない国家中心主義が今回の問題の土壌にあるとしたら、警戒を強めなければならない。
そもそも前川氏の講演は、天下りや加計学園がテーマではなかった。自らの不登校経験や学ぶ力の大事さ、多文化共生社会など、中学生に生き方を説く内容だ。
多様な経歴を持つ大人の話を聞くのは、生きる力を培う上で大事なことだ。文科省はむしろ、こうした現場の取り組みを推奨すべきであろう。