<社説>日本復帰46年 沖縄振興の根本的転換を

 1972年の5月15日、沖縄は日本に復帰した。その前年の71年11月、沖縄国会と言われた第67臨時国会に、琉球政府の屋良朝苗行政主席は復帰措置に関する建議書を提出した。建議書は「はじめに」の項で「基地のない平和の島としての復帰」を望んだ。

 復帰後も改善されない最も大きな障害は米軍基地の存在だ。在日米軍専用施設の集中度は復帰時の約75%から約70%に減るにとどまり、整理縮小は進んでいない。2016年の米軍属女性暴行殺人事件、米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの名護市安部墜落、17年の普天間第二小学校への米軍ヘリ窓落下事故など事件事故が頻発し、県民の命が脅かされている。
 しかし基地の負担を軽減するどころか、安倍政権は普天間飛行場の名護市辺野古への新基地建設を強行している。沖縄県知事が明確に反対し、新基地建設の賛否が争点となった全県選挙ではほぼ反対の候補者が当選した。建議書が掲げた「地方自治の確立」は、新基地建設を強行する政府によって妨げられている。
 建議書は「県民本位の経済開発」も掲げた。本土に比べて大きく立ち遅れた沖縄の振興策として、約10兆円の「振興開発費」が投下された。確かに道路や港湾などインフラは大きく進んだ。
 しかし県民所得は全国平均の約7割、失業率は全国ワーストといった貧しさの部分は解消していない。子どもの貧困率は全国平均の2倍に上る。保育サービスが貧弱で、待機児童が多く、保育料は高い。離島の過疎化も深刻だ。過去の沖縄振興は社会資本整備に偏り、教育福祉施策を充実させる努力を怠ってきた。沖縄振興の仕組みを根本から見直す必要がある。
 12年に始まった沖縄振興一括交付金は、地域主権に基づいた沖縄の裁量による予算との当初の意義付けは失われ、基地政策の見返りで予算の多寡が決まる、国にとって都合のよいものとなってしまった。それが沖縄振興のゆがみを増幅している。
 復帰と同時に始まった沖縄振興開発特別措置法に基づく沖縄振興計画は第5次の折り返し点を過ぎた。私たちは第5次の終わりと、次の沖縄振興の仕組みを真剣に論議し、真の「県民本位の経済開発」を考えねばならない時期に来ている。
 建議書が挙げた新生沖縄像は、国家に押し付けられるのではなく、自らの未来を自らが決めるという姿だ。苛(か)烈(れつ)な沖縄戦と米国統治による圧政を経験した呻吟(しんぎん)の中から生み出された県民全体の願いと言えよう。自立と自律。これを実現することこそ、次世代に対する私たち世代の責任だ。
 沖縄自治構想会議は「沖縄エンパワーメント」と題した構想を発表し、沖縄振興と自治の在り方の根本的転換を提唱している。沖縄の将来について考える日としたい。