貧困と低学力の間に強い因果関係があることは学力テストでも立証されている。学歴と所得との因果関係も統計的に明らかだ。だから、子どもの貧困を放置することは貧困の世代間連鎖を放置することになってしまう。子どもは生まれ育つ環境を選べない。何の罪もない子どもたちに連鎖を強いるのはあまりにも理不尽だ。
貧困の連鎖を断ち切るのは政治の義務、ひいては社会全体の義務だ。与野党が子どもの貧困対策法案を国会に提出したが、ぜひこの国会で実効性ある法律を定めてほしい。
友達と仲良くしたり、学校に普通に通ったり、家族で動物園に行ったりする。社会の標準的な所得から一定の範囲内の所得がない場合(相対的貧困)、そんなささやかな普通のことができなくなる。国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩氏はそう指摘する。
けがや病気をしても医療費の自己負担を恐れて病院に行けず、保健室で済ませてしまう。学級でただ一人修学旅行に行けない。給食が唯一のちゃんとした食事だから、夏休みの間にやせてしまう。
わたしたちの社会は、そんな子どもの貧困を放置してきた。日本の子どもの貧困率は、OECD(経済協力開発機構)の定義に照らせば、この25年で1・5倍に増えた。今や6人に1人に達し、先進20カ国中、4番目に多い。ひとり親世帯では最悪の水準だ。もはや猶予はならない。
近年、貧困対策というと、すぐに「自己責任論」を振りかざす風潮がある。だがそれは、現実を知らない議論だ。
日本の貧困の特徴は、親が働かない世帯でも働いている世帯でも貧困率にほとんど違いがない点だ。構造改革で労働関連法を改定した結果、非正規雇用が爆発的に増大したせいでもある。自己責任というより、政治の結果なのである。
貧困からの脱出は自力では困難だ。授業料だけでなく教材費などあらゆる教育関連経費も免除しないと、進学は事実上できない実態を知るべきだ。
教育関連機関への公的支出は日本が政府総支出の8・9%。OECD平均が13%で、日本は最下位だ。大胆に引き上げ、貧困家庭の子の高校・大学の進学費用を完全無償化していい。すべての子の可能性を開花させることは社会の活力を生む。子どもへの支出は未来への投資なのだ。