<社説>副知事人事 不退転の決意で県政運営を


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 ふたを開ければ異例の人事となった。県知事に就任する翁長雄志氏は副知事に県議の浦崎唯昭氏(71)と那覇市議会議長の安慶田光男氏(66)を起用する。

 両氏は翁長氏を支えた盟友であり「お友達人事」「論功行賞」との指摘にも耳を傾け、不退転の決意で県政運営に当たるべきだ。
 日本政府は県内移設反対の民意を無視して、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を強行しようとしている。今ほど沖縄側の政治力が試されている時はない。翁長氏は公約実現のために強いリーダーシップを発揮してほしい。
 2副知事のうち1人は県から起用してきた慣例を破る形となり、県庁内に衝撃を与えたことも事実だ。次に控える部局長人事は、行政に精通した人物を実力本位で起用すべきだろう。
 翁長氏は浦崎、安慶田両氏を起用する理由について「イデオロギーよりアイデンティティー、保革を超えるといった政治の大筋をしっかりと理解できている方々だ」と説明した。
 1968年の主席公選以来、沖縄は保守と革新の両陣営が激しく対決してきた。しかし、半世紀近く続いた保革の枠組みは1月の名護市長選挙、11月の知事選挙を経て変容した。基地問題という共通の課題に、一つになって取り組む県民共闘体制が出来上がった。
 ところで「オール沖縄」の考え方は、保革両陣営内部に既に宿っていた。
 70年の国政参加選挙で保守陣営から立候補した西銘順治氏はこう訴えた。「沖縄の歴史は『琉球処分』から苦難の連続だった。だから場合によっては、日本政府と対決するぐらいのことを考えなければならない」
 革新陣営から初の公選主席となった屋良朝苗氏は、72年の復帰式典で「沖縄がその歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除」すると述べ、国の意向に翻弄(ほんろう)されることを拒否する考えを示した。
 施政権返還後、沖縄の政治は日本の中央政党に系列化されたため、なかなか県民共闘が組めなかった。翁長氏の当選で、かつての保革両雄の主張が現実味を帯びてきた。
 副知事人事をはじめ、一つ一つ政策決定過程を明らかにしながら、しっかり県民と向き合った県政運営を望む。