<社説>辺野古知事承認 民意に背く「押し逃げ」 晩節汚す愚行 将来に禍根


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 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けて沖縄防衛局が提出した埋め立てに関する工法変更申請について、仲井真弘多知事が3件のうち2件を承認した。

 前日には不承認を求める県民大行動が県庁周辺で開催され、2200人(主催者発表)が雨の中で「(印鑑)押し逃げは許さない」と訴えた。世論調査でも80%の県民が「移設作業を中止すべきだ」と答えている。
 多くの県民から「押し逃げ」と批判されても仕方ない。

説明責任果たさず

 知事は公舎で書類に捺(なつ)印し、その後は県庁に立ち寄らなかった。記者会見も開かず、担当部局が知事談話と承認を記した資料を報道陣に配布し、土木建築部長が廊下で立ちながら取材に応じただけだ。沖縄の将来にとって重大な決断をしたというのに、知事本人が十分な説明責任を果たさないのは甚だ疑問だ。
 知事は談話で「申請の標準的な処理期間の44日間を大幅に超過している状況にあることから、承認または不承認の判断をするべき時期に来ていると考えた」と記している。しかし10日に新知事に就任する翁長雄志氏は「知事の権限をしっかりと検証し、(承認の)取り消しや撤回も視野に入れていく」との方針を示している。知事の承認は明らかに県民から負託を受けた次期知事の方針に反している。処理期間は大幅に超過しているのだから、5日後に誕生する新県政に委ねても良かったはずだ。
 11月の県知事選は辺野古移設の是非が最大の争点だった。辺野古移設推進を掲げる仲井真氏は移設反対を掲げた翁長氏に約10万票の大差で敗れた。知事は自らの県政を「レームダック(死に体)」と称した。「死に体」ならば判断を先送りするのが筋ではないか。
 1990年11月、当時知事を務めていた西銘順治氏は新石垣空港の設置許可申請の準備が完了したことを事務方から聞いた。しかし申請を保留する。1週間後に知事選を控えていたからだ。西銘氏は選挙に敗れたため「次の知事の判断を仰ぐ」として設置申請を見送った。その後、空港予定地は別の場所に変更され、2013年3月に開港している。
 仲井真知事の行動は西銘氏が次期知事に潔く判断を委ねた対応とはあまりに対象的だ。承認という判断に正当性があると思うのなら、知事は正々堂々と自身の言葉で県民に理由を述べるべきだ。翁長氏は承認について「大変残念だ」と述べ、稲嶺進名護市長は会見しなかったことについて「県民に顔向けできないんじゃないか。恥ずかしいこと」と述べている。知事はどう反論できるのだろうか。

県民を代表せず

 知事は昨年12月、安倍晋三首相との会談で「普天間」の5年以内の運用停止に言及しない安倍首相の基地負担軽減策に対して「驚くべき立派な内容に140万県民を代表して感謝する」と述べた。そして数日後に辺野古移設の埋め立て申請を承認した。直後の琉球新報の世論調査では7割以上が辺野古移設に反対していた。ことし4、11月の調査でも反対が7割を超えている。1年前の時点で知事はもはや「県民を代表する」資格を失っていたと言わざるを得ない。
 県は申請3件のうち、中仕切り護岸の追加と仮設道路の新設について承認した。残り1件の土砂運搬方法の変更については審査がまだ終了していないとして、承認可否の判断を先送りにした。申請の一部だけの審査報告書を先に作成して承認することは「前例がない」(県関係者)という。国の作業を中断させないために「恣意(しい)的な手続き」(野党関係者)を進めたと見られても仕方ない。仲井真知事は県民の代表というよりも、新知事の権限を奪って移設推進の政府のお先棒を担いでいるとしか思えない。沖縄の将来に禍根を残した。晩節を汚す愚行だ。