<社説>大学入試改革 慎重の上にも慎重な検討を


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 大学入試は当事者の人生を左右しかねないから、公正性が何より求められる。公正性に関わる制度変更に見切り発車は禁物だ。

 中教審が大学入試改革案を文部科学相に提出した。40年ぶりの抜本改革だ。入試だけでなく高校生活にも影響する内容であり、慎重の上にも慎重な検討を求めたい。
 最大の変更はセンター試験に代わる「大学入学希望者学力評価テスト」の導入だ。知識偏重を改めるため、知識そのものよりその活用力、思考力を問うとされる。記述式を導入し、教科を複数束ねた合教科型・総合型の出題もあるという。
 「生きる力」を育成したいという理念は理解できる。だがセンター試験は55万人以上が受験しており、記述式で採点が可能なのか。1点刻みの評価をやめるというが、得点順の評価が公平ではないか。
 何より客観的な採点ができるのか。答申が「国家と社会の形成者」育成をうたうのが気になる。教育は国家のためではなく、自立した人間を育成するためにある。新制度が、国の望む人物像へ誘導するための装置とならないか、注視する必要があろう。
 各大学の個別試験には小論文や面接、集団討論などを活用した選抜を求める。数万人が受ける大規模な私立大で個別の面接ができるのか。採点に大量の人員が必要となろうが、そのためだけの大量採用は難しいはずだ。一時雇用や外部委託で万全な情報管理ができるのか。万が一にも流出があればその大学の評価は根底から崩れる。
 筑波大の阿江通良副学長が「主体性などは30分の面接では分からない。数日かけても難しい」と述べているのもうなずける。客観的な評価が可能か、ここでも問われよう。入試は公正性が核心であることを忘れてはならない。
 ペーパーテストを課さないAO入試が、人物重視のはずが、一部で単なる一般入試回避の抜け道となり、学力低下を招いたと批判されている点にも留意すべきだ。
 一方、「基礎学力テスト」も導入される。こちらは知識・技能の習得を測るというから従来型の試験になろう。
 しかし高校2、3年生が年に複数回受けるとされる。高校生活が「試験漬け」となり、学校行事や部活動に支障が生じないか。
 疑問は尽きない。文科省には慎重な検討と制度設計が求められる。拙速は厳に慎んでもらいたい。