<社説>元CIC初証言 沖縄戦後史検証する契機に


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 復帰運動が高揚した1960年代の沖縄で、反米活動の阻止を目的に住民を監視し、諜報(ちょうほう)活動していた米陸軍対敵諜報隊(CIC)の元所属兵が当時の詳細な活動を初めて証言した。監視を受けた側の証言や活動を示す公文書は存在するが、防諜(ぼうちょう)活動に関与した当事者が実名で証言するのはこれまであまり聞いたことがない。戦後70年の節目に明らかになった今回の証言は、沖縄の戦後史の実相に迫る上で貴重な記録となるだろう。

 初めて証言したのはハワイ移民の日系2世2人で、1人は県出身者だ。CICは45年の沖縄戦で少なくとも六つの分遣隊が沖縄に上陸し、日本軍の機密情報を収集し、民間人の尋問などに当たった。47年にはフィリピン部隊の流れをくむ526分遣隊が駐留し、米施政権下の沖縄で諜報活動を展開する。
 2人によると526分遣隊には約30人が所属し、うち諜報員約15人が防諜活動に当たった。政治、経済、労働組合など対象に分かれて班をつくり、本島内を中心に活動したという。沖縄の人々の中から米軍協力者を見つけては情報交換している。信頼関係を築いた人からは、さらに内通者の紹介を受けた。植民地での宗主国の常とう手段である分断統治そのものだ。
 CICは反米活動家や共産主義者などに監視を強めていた。米軍が共産主義とみなした沖縄人民党の元委員長で那覇市長などを務めた瀬長亀次郎氏の動向を探るため、瀬長氏が投獄されていた宮古刑務所から娘に宛てた手紙が回収され、CICによって英訳されていたことが米公文書で分かっている。
 今回の証言で特筆されるのは、CICの調査対象が反米主義者にとどまっていないことだ。親米派の資金源なども調べており、監視は沖縄住民全体に向けられていたことが明らかになった。旧東ドイツの秘密警察シュタージは国内外にスパイを配置し、密告社会を築いて国民を恐怖に陥れた。米側が圧政を継続するために沖縄住民を監視し、情報収集を重ねていた行為は、東ドイツと何が違うだろう。
 CICの活動実態は解明されていない闇の部分が多い。米側は関連資料などの情報公開に積極的に努め、米施政権下での統治活動をつまびらかにすべきだ。今回の証言を足掛かりに、これまで光が当たらなかった沖縄の戦後史を掘り下げ、検証する必要がある。