<社説>仏紙銃撃テロ イスラム規範にも反する


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 フランスの風刺週刊紙シャルリエブド本社が銃撃され、編集長と風刺画家ら12人が犠牲になった。

 犯人は国際テロ組織アルカイダを名乗る男3人で、うち1人は2005年にイラクのイスラム過激派と関わったとされる。
 犯人は「預言者のかたきだ」と叫びながら自動小銃を撃ったという。同紙は11年以降、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画などを掲載しており、それに対する報復テロとみられている。
 民主主義の根幹をなす「表現の自由」や「報道の自由」「思想の自由」に対するテロであり、断じて許すことはできない。一方で、今回のテロをイスラム教に対する偏見や恐怖につなげることも、あってはならない。
 シャルリエブドはこれまで宗教上、タブー視される問題にも挑戦しており、その姿勢を称賛する声がある一方で、不必要に敵意をあおっているとの批判もあった。
 イスラム教徒の多くはムハンマドが風刺の対象となることを許せないと考えるだろう。敬虔(けいけん)な信者であればあるほど「冒涜(ぼうとく)だ」と強い怒りを覚えることは想像に難くない。
 風刺を含めた言論に対して抗議する権利は誰にでもある。だが、その手段はあくまでも言論でなければならない。テロなどの暴力を用いることは言語道断である。報復テロはいかなる理由であれ、正当化することはできない。
 イラン外務省は、銃撃テロを受けて「罪のない人々へのテロ行為はイスラムの規範に反するものだ」との非難声明を発表している。エジプトにあるイスラム教スンニ派最高権威機関アズハルは「犯罪的な行為だ」と非難する声明を出し「イスラムはいかなる暴力も拒絶する」と強調している。
 報復テロはイスラム規範にも反し、イスラム社会でも容認されるものではないということだ。
 今、世界に求められていることは「寛容の精神」である。人種や宗教、文化の違いを認め合い、尊重し合うことでしか、さまざまな問題を解決することはできない。
 理想社会実現のためにはテロなどの犯罪行為もいとわないイスラム過激派と価値観を共有することは難しい。それでも、国際社会は一致協力して、平和的手段による解決策を模索し続けなければならない。