<社説>表現の自由 良識ある風刺に価値あり


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 社会を動かす影響力がある政治家らに対する風刺や辛口の皮肉を込めた表現は、庶民の思いを代弁し、民意を反映する要素がある。

 矛先を向けられた当事者と社会全体で機知に富むメッセージを、胸襟を開いて受け止めることができれば、言論、表現の自由が息づく寛容な社会を形成できよう。
 だが、国内外で表現の妥当性が論争となり、その自由に対する圧力が強まるなど、息苦しさを感じる事態が相次いでいる。良識ある表現の自由の在り方をあらためて考えたい。
 フランスの風刺週刊紙「シャルリエブド」は銃撃テロ後の最新号で、イスラム教預言者ムハンマドの風刺画を再び掲載した。「表現の自由か宗教の冒涜(ぼうとく)か」。世界、日本のメディアは風刺画を転載するか否かで判断が分かれた。
 言論、表現の自由は最大限尊重されるべきで、それを奪う暴力は絶対に許されない。その一方、他者への敬意を忘れず、価値観を尊重することが大前提である。
 風刺画に対し世界各国のイスラム団体から抗議の声が上がった。風刺画を「冒涜」と受け止めるイスラム教徒が国内外に存在することは間違いない。尊厳を傷つける表現が横行しては、社会の多様性と寛容さが損なわれてしまう。
 国内を見渡せば、昨年末のNHK紅白歌合戦で、サザンオールスターズの桑田佳祐さんが歌った「ピースとハイライト」がネット上で批判を浴びた。
 「都合のいい大義名分で争いを仕掛けて」「裸の王様」という歌詞は、解釈改憲で集団的自衛権の行使を容認した安倍晋三首相への批判とも受け止められ、支持者らが抗議行動を起こす事態になった。
 曲自体は2013年の発売だ。悪化した日本と中韓両国の関係を改善し、平和を目指すメッセージが込められていよう。一部の歌詞を激しい言葉で攻撃する行為は狭量に過ぎる。桑田さんは紫綬褒章をポケットから取り出した別のパフォーマンスなどをめぐり、謝罪に追い込まれてしまった。
 一方、お笑いコンビの爆笑問題がNHKの番組で用意した政治家ネタを却下されたことをめぐり、籾井勝人NHK会長は「品性がない」「やめた方がいい」と述べた。
 「政治家の風刺は控えよ」と諭すような発言である。批判を恐れて報道機関が萎縮する事態も社会の息苦しさを助長する。