<社説>海保「馬乗り」 決して許されない行為だ


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 危険行為をしておきながら「最低限許される」と開き直る。

 海上保安庁という国家組織は、一体誰のために、何を守るために存在しているのだろうか。
 名護市の大浦湾で20日、米軍普天間飛行場の同市辺野古沖移設に反対する抗議船に乗船して海上作業を撮影していた映画監督の影山あさ子さんに、海上保安官が馬乗りして制圧した。本紙写真部員が撮影した連続写真(23日付本紙32面)を見ると、誰の目にもそう映るだろう。
 第11管区海上保安本部は「かじがある船体後部へ通り抜けるために女性をかわして奥に進んだ」と回答したが、矛盾している。船体後方から現れ、背後から影山さんのカメラを奪おうと左手を伸ばし、左足を肩から乗せている海上保安官の姿が写っているからだ。
 第11管区海上保安本部の高橋博美次長は、野党国会議員の抗議に対し「危険な行為なら物理的な措置を取らざるを得ない。最低限許される行為だ」と答えた。危険な行為をしたのは海上保安官ではないのか。決して許されない行為だ。
 そもそも海保はなぜ辺野古にいるのか。市民の安全を守るためではないことだけは確かなようだ。世界最強の米軍に差し出す新基地の建設作業を邪魔されないように、市民から守っているのだ。
 今や海上保安庁の中で、ジョージ・オーウェルの小説「1984」さながら、二重思考が蔓延(まんえん)している。海保の言う「安全確保」は市民の安全ではなく作業現場の安全を指し、無抵抗の市民を「危険」とみなす。暴力行為は慎むものではなく「最低限許される」。
 男性の喉元を手で押さえて恫喝(どうかつ)し、女性の腕をねじり上げる。ある時は、3人がかりで羽交い締めして後頭部を船底に打ち付ける。またある時は、フロート内に入った市民を力ずくで海中に数回沈める。今回、馬乗り行為も加わった。市民に暴力を振るっているのは映画の「ロボコップ」ではなく、国家公務員の海上保安官だ。
 海上保安官の馬乗りは、現在の安倍政権と沖縄県の関係を象徴しているようにも見える。翁長雄志知事を先頭に辺野古移設反対を訴える沖縄の民意を、安倍政権は馬乗りのように力ずくでねじ伏せようとしている。もはや法治国家ではない。恐怖政治がまかり通る「一党独裁国家」のようではないか。