<社説>海保の説明拒否 頬かむりは許されない


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 暴力的な警備の度合いを強めたことで、高まるばかりの県民からの批判を避けるため、頬かむりを決め込むつもりか。

 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設の現場海域での警備をめぐり、第11管区海上保安本部は市民らを拘束する行為などに関する取材に返答しない姿勢を示した。
 何がそれほど後ろめたいのか。子どもじみた恥ずべき対応と言うしかない。安倍晋三首相や菅義偉官房長官ら主要閣僚による翁長雄志知事との面談拒否と同列ではないか。
 海上保安庁は国民を拘束し、場合によっては逮捕する権限を持つ機関である。海上で市民の行動の自由を奪う行為について、説明責任を放棄することは許されない。
 辺野古沖の海上では、新基地建設を拒む沖縄の民意に沿った非暴力の抵抗に対して、海上保安官の弾圧に等しい力ずくの警備が続き、それがほぼ連日報道されている。
 けが人も出ている過剰な警備に眉をひそめる県民は多い。翁長雄志知事が11管に危険な警備をしないよう厳しく申し入れたが、無視に近い状況ではないか。
 11管は繰り返される拘束の理由について、正確な事実に基づき、毎日でも説明を尽くすべきである。それが当然の責務だ。
 海上保安官は警備に当たっても「安全確保」を優先した対応が義務付けられていよう。しかし、現場では船上で女性に馬乗りになってカメラを奪おうとしたり、沖合3キロの外洋で拘束したカヌー隊を置き去りにしたりするなど、安全確保とは逆の人命と人権を脅かしかねない行為が続いている。
 馬乗りに関し、11管は自らその場面を撮影した映像がありながら、事実と懸け離れた虚偽の説明をして否定した揚げ句、説明を一転して馬乗りを認める醜態をさらした。
 捜査機関は、捜査や警備に行き過ぎがあれば、それを改める自浄能力を発揮する謙虚さを持ち合わせるべきだ。
 われわれ報道機関には、市民の身体的自由を奪う警備に問題があれば、当局に見解をただし、検証する責務がある。報道によって県民、読者が知ることができるケースも多い。
 個別事案に対する質問に返答しなくなれば、自制を欠いた警備がさらに強まりかねない。それを断じて認めるわけにはいかない。