<社説>泡瀬干潟訴訟 司法の消極主義は疑問だ


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 司法の消極主義、行政追随の姿勢がここに極まった。そんな印象を拭えない。

 第2次泡瀬干潟埋め立て訴訟の那覇地裁判決は住民の訴えを全面的に退け、公金支出を認めた。
 問題はその理由だ。
 原告は事業計画に需要予測の誤りがあり、経済合理性を欠くと主張した。これに対し判決は「一定の客観的資料に基づく算出」であることを理由に事業継続を認めた。内容が適当か否かにかかわらず、資料を出したという外形的事実さえあれば事業を続けてよいと言うのに近い。
 あまつさえ、「仮に需要予測と実績に一定の差が生じたとしても事業が妥当性を欠くとは認められない」とまで述べている。結果と食い違ってもいいのなら、需要予測に意味があるのか。
 行政に明白な瑕疵(かし)がない限り、追認するという姿勢である。判決はまた、公共事業をするか否か、最終的には「選挙を通じて住民が判断すべきもの」とも述べた。すると全ての住民訴訟は不要ということにならないか。司法の消極主義が極まったとみるゆえんである。
 確かに、1次訴訟の1審、2審で経済合理性が否定された結果、行政側は事業計画を見直した。利用者数などの推計を下方修正し、埋め立て面積を187ヘクタールから96ヘクタールに縮小した。
 とはいえ国、県、市で800億円、民間で200億円の計1千億円もの額を投じる事業である。あいまいな需要予測は許されまい。
 東日本大震災は標高の低い土地、液状化しやすい埋め立て地の危険性を喚起した。だが現行計画で防災対策は不透明だ。毎日1万人近くが訪れる計画なのにアクセス道路は1本しかなく、津波襲来時に渋滞するのは間違いない。避難ビル設置など、安全対策で追加的な費用が発生するのは確実だ。経済合理性にはさらに疑問が募る。
 自然への懸念も拭えない。環境に配慮したというが、例えば工事が始まった後、大型海草藻場は消失した。だが判決はこの事業の結果と特定するのは困難と述べる。妥当な判断なのか、疑問を禁じ得ない。
 財政再建が国家的課題である中、この干潟に土砂と巨額の税金を投入するだけの根拠を、司法は科学的かつ慎重に見極めるべきだ。原告は控訴する意向である。2審には司法の役割を自覚した積極的な姿勢を見せてもらいたい。