<社説>琉米条約確認 自己決定権回復に英知を


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 琉球国が1854年に米国と交わした琉米修好条約の米国側原本が、米国立公文書館に保管されていることが分かった。

 条約はペリー提督により締結され、米議会が批准、大統領による公布などの正式な手続きを踏んでいる。米国が琉球について外交権を有する独立国家と見なしていた明白な証拠といえる。
 しかし、明治政府は琉球が保管していた条約原本を取り上げ、琉球の外交権を剥奪した。そして79年、力ずくで琉球を併合した。複数の研究者は「国際法に照らして不正だ」との見解を示している。
 琉球は自己決定権を奪われ、沖縄戦、米国統治を経て現在に至る。米軍基地問題をはじめとする沖縄問題は、琉球の併合過程に端を発する。今に至る過程を再検討し、自己決定権を回復するために英知を集めたい。
 日本政府は「外交・安保は国の専管事項」と繰り返し、沖縄が反対しても基地を押し付け続けている。最近の米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の強行ぶりに、政府の姿勢が如実に表れている。
 自己決定権を奪い、数の論理をかざして沖縄に軍事基地を押し付けるのは、基本的人権の侵害である。日本政府と国民はそのことに気付くべきだ。
 一方、米軍は独立国だった琉球を、日本が併合したことを知っていた。沖縄占領のために1944年に作成した「民事ハンドブック」によると、沖縄人は日本人によって差別され、搾取された、日本人の中の劣等グループであるという考えを占領当初から持っていた。日本と沖縄の心理的な亀裂を利用して、占領政策を遂行した。
 米国統治下の沖縄は自治権が制限された。自治権とは自己決定権と言い換えられる。自治権拡大要求の象徴が主席公選だった。68年に主席公選が実現し、即時無条件全面返還を訴えた屋良朝苗氏が当選した。屋良氏は72年5月15日、返還式典で「沖縄がその歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除」するとあいさつした。これは自己決定権の回復宣言に他ならない。
 沖縄の命運を決めるような大切な事は沖縄自ら決めるという自己決定権の回復こそ、沖縄戦をはじめとする近現代史から導かれた重要な教訓といえる。自己決定権の回復の実現は戦後70年を迎えた沖縄が取り組むべき最重点課題だ。