<社説>臓器移植 家族の心のケアを十分に


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 誰かを救うためとはいえ、重い選択だったことだろう。ご家族の決断に敬意を表したい。

 県立中部病院で県内初の脳死判定と臓器提供が行われた。30代男性から心臓、肺、肝臓、膵臓(すいぞう)と片方の腎臓、もう一方の腎臓が摘出され、それぞれ移植された。計5人の命が救われたことになる。
 提供者の男性は臓器提供の意思を示す書面は残していなかったが、家族が承諾した。「誰かのためになれば本望です」というご家族の短い談話にどれほどの深い思いが込められているか。胸が詰まる。
 専門家は「難しい判断をした家族は、決断が良かったか思い悩むことがあるかもしれない。決断の意義を一緒に見詰め、気持ちを支えることが大切だ。同じ状況の人と気持ちを分かち合える環境の整備が必要だ」と語る。関係者にはそうした心のケアも考えてほしい。
 1997年施行の臓器移植法が2009年に改正、翌年施行され、本人の書面が不要となった。今回はそれが適用された事例だ。
 改正には論戦が交わされた。本人に拒否の意思があっても確認を尽くせるかという指摘もあった。そうした疑問を拭うには情報公開が欠かせない。移植に国民的な理解を得るためにも、医療関係者は提供に至る過程の検証を十分行い、積極的に公開してほしい。
 一方で、移植医療の進展が切実に待たれているのも事実だ。例えば心臓移植を待つ患者、特に子どもは高額な渡航移植に頼らざるを得ない。だが海外移植には批判もあり、世界保健機関(WHO)も08年、自国内移植を勧告した。渡航移植の門戸は確実に狭まりつつある。命を救うには自国内の移植を広げるしかないが、移植希望者に対し提供は圧倒的に不足しているのが現実だ。
 移植が必要なのは難病だけではない。例えば人工透析を受けている患者は県内に約4200人おり、人口比では全国でも高い。人ごとではないのだ。
 透析から逃れるには移植しかないが、県内の臓器提供例は年間数例という。臓器移植は一人一人の心によるものだが、その是非を判断する上でも、そうした現状認識の共有が必要だろう。
 いずれにせよ臓器移植への国民的議論は圧倒的に不足している。提供の意思があるにせよないにせよ、現在十数%にすぎない書面での意思表示を格段に高めたい。