<社説>地下鉄サリン20年 心理解明し教訓引き出せ


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 不可解なものを対岸に追いやり、断絶するだけでは、真の解決にならないのではないか。地下鉄サリン事件から20年がたち、オウム真理教をめぐる状況を見ると、そんな思いを深くする。

 首都中枢で化学兵器がまかれるという未曾有(みぞう)のテロだったにもかかわらず、教組の松本智津夫死刑囚は真相を語らないままだ。
 松本サリン、弁護士一家殺害などの凶悪事件もオウムの犯行だった。それが明るみに出ると、事件を憎むあまり、当時の日本はこんな二元論に染まった。オウムか、それ以外か。
 今も「オウム信者は別世界」との認識が一般的だ。だが、そこにとどまるだけでいいのか。信者は真面目で善良、高学歴の者も多かったとされる。そんなある意味純朴な青年たちがなぜ犯罪に至ったか、その過程をわれわれが知悉(ちしつ)したとは言い難いはずだ。
 オウムの神秘主義は絶対的帰依を生み、それが犯罪をも躊躇(ちゅうちょ)しない心性を招いたとされるが、オカルト的言辞やカルト宗教は今もはびこる。事件に至る真相を解明し、信者の心理的機序を子細に分析、きちんと教訓を引き出さない限り、再発は防げないのではないか。
 精神科医の斉藤環氏は、オカルトなど非合理的なものを排除し過ぎると、地下に潜ってかえって危険だと警鐘を鳴らす。抹消、疎外するのでなく、どうコントロールするかを考えるべきだと説く。
 二元論に何でも回収してしまうことの危険性にも通じよう。
 地下鉄サリンから6年後に米中枢同時テロが起きた。そこから今度は地球規模で「テロとの戦い」が始まり、世界は「敵か味方か」に色分けされた。
 だがその「戦い」は無辜(むこ)の市民を多数殺害し、新たな憎しみの連鎖を招いた。過激派組織「イスラム国」がイラク戦争時の収容所で出発したのが象徴的である。
 レッテルを貼るだけでこと足れりとするのは簡単だが、他者との間に線を引くのは相互理解を困難にするだけで、新たな悲劇を再生産しかねない。彼我の二元論を脱した他者との辛抱強い相互理解こそ、われわれがくむべき教訓ではないか。
 公判で信者はサリン散布について「救済と思った」と証言する。「乗客をより幸福な世界へ転生させた」という論理だ。こうした宗教的心理過程も解明し、今後カルトから脱出させる際に生かしたい。