<社説>米軍上陸70年 沖縄戦の教訓全国へ 時代逆戻りは許されない

 70年前のきょう26日、米軍が慶良間諸島に上陸し、沖縄戦は地上戦に突入した。

 米軍は4月1日には沖縄本島に上陸し、住民を巻き込んだ日本軍との戦闘が泥沼化する。日本軍の組織的な戦闘が終わる6月中旬までに、多くの尊い命が奪われたことを忘れてはならない。
 取り返しのつかない多大な犠牲を払った体験から日本は戦争放棄を誓い、平和国家として歩んできた。それが今、国のカタチを根底から覆す動きが加速していることを危惧する。
 あの時代への逆戻りは許されない。沖縄戦の教訓を全国に発信し続ける責任が私たちにはある。

「軍命」明記すべきだ

 米軍は沖縄本島上陸作戦に先立ち、慶良間諸島へ侵攻した。それと同時に渡嘉敷村や座間味村などでは「集団自決」(強制集団死)が起きた。
 家族や近所の人らが1カ所に集まり、手りゅう弾を爆発させ、不発で死ねなかった場合はカミソリやロープで親が子を手に掛けた。
 このような非人間的な行為を誰が進んでやるだろうか。
 そうせざるを得ないよう誘導・強制し、住民を精神的に追い込んだのは日本軍である。「米軍に捕まれば惨殺される」「投降は絶対に許さない」などと住民を脅していたのである。
 米軍上陸前に日本軍の命令を受けた兵事主任が住民に手りゅう弾を1人2個ずつ配布した上で「敵に遭遇したら1発は敵に投げ、残りの1発で自決せよ」と訓示している。いざとなれば「死ね」という命令にほかならない。
 日本軍は軍事機密が漏れることを恐れ、住民の命を軽視していた。軍隊にとってそれが当然だったのである。
 「集団自決」での軍命の有無が争われた大江・岩波裁判では「集団自決には日本軍が深く関わっていた」と軍の関与を認定する判決が出ている。
 第3次家永裁判の最高裁判決は「集団自決」の原因を「極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、日本軍の住民への防諜(ぼうちょう)対策など」と認定している。
 ところが、高校歴史教科書は「日本軍が強いた」「日本軍によって追い込まれた」との記述にとどまり、「軍命」を明記したものはない。
 歴史を事実に即して書くことは当然のことである。「軍命」をしっかり書き込まなければ、戦争の犠牲者は浮かばれない。ましてや「集団自決」を殉国美談とすることなどあってはならない。

理想の実現目指せ

 日本は悲惨な戦争体験から平和の尊さ、戦争の愚かさを身をもって知った。その結果手にしたのが戦争放棄をうたった憲法である。国はそれを順守する義務がある。
 だが、安倍政権は「時代にそぐわない内容もある」とし、改憲に突き進んでいる。
 「積極的平和主義」を掲げる安倍晋三首相の一連の安全保障政策は戦前回帰そのものである。その内実は国民の描く「平和」とは大きく乖離(かいり)している。
 核兵器を持つ独裁国家の存在や軍事的対立、テロの続発など国際情勢に不安定要素はある。
 だからといって日本が戦争のできる国となっていいはずがない。日本は戦後、憲法が掲げる理想の実現に向かってきたからこそ、各国からの信頼を得てきた。
 理想を実現するのが政治家の役目である。理想を時代にそぐわないとすることは政治家失格と言わざるを得ない。国民に犠牲を強いた戦争の教訓を学ぶべきだ。
 安倍首相が自衛隊を「わが軍」としたのも改憲志向の表れである。菅義偉官房長官も「自衛隊はわが国の防衛を主たる任務としている。このような組織を軍隊と呼ぶのであれば、自衛隊も軍隊の一つということだ」と述べている。
 戦後の歩みを否定する発言であり、許されるものではない。