<社説>歴史教科書検定 事実を教えてこそ教育


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 日本にとって歴史とはこれほどまでに軽いものなのか。文部科学省が公表した中学校歴史教科書の検定結果には、そんな疑念を抱かざるを得ない。

 沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)に対する日本軍の強制性を明記した教科書が来年から姿を消す。これで沖縄戦の実相、軍の非人間性、ひいては戦争の愚かさ、平和の尊さを教えられるはずがない。
 1996年度検定では8社中6社の教科書が「日本軍は集団自決を強要したり」などの表現で、軍が住民に死を強制したことを明記した。しかしその後、軍の強制性を明記する教科書が次第に減り、ついに一冊もなくなるのである。教育の危機と言わざるを得ない。
 軍の強制性の記述がなくなった背景には「軍命の有無は断定的な記述を避けることが妥当」との2006年度高校教科書検定意見の効力が、今も残っていることがある。
 「集団自決」での軍命の有無が争われた大江・岩波裁判判決は「集団自決には日本軍が深く関わっていた」と軍の関与を認定した。この間の検定結果はその判決を反映しておらず、看過できない。
 何より、軍の強制については数々の証言がある。事実を書かないことを「妥当」とすることはできない。文科省が歴史教育の大切さを考えるならば、06年検定意見を撤回すべきである。
 「琉球処分」の記述についても問題がある。自由社の教科書は「明治政府は日清戦争後、沖縄の近代化に本格的に取り組み」などと記し「琉球処分」を正当化している。
 それだけではない。「1912年には衆議院議員選挙法が沖縄にも施行され、県民は国政にも参加できるようになりました」との記述は不十分である。衆院選実施は本土に遅れること22年、謝花昇らの参政権運動で実施が決まってから12年もたなざらしされた。
 宮古、八重山を選挙区に加え、本土並みの定数5となったのは20年のことである。政府が沖縄を放置していた事実の明記を求めることこそ検定制度のあるべき姿だろう。
 過去に起きた出来事を正確に記し、その事実を教えてこそ教育である。その当たり前のことを忘れては、子どもたちを望ましい方向へと導くことはできない。
 一連の歴史教科書検定にはその視点が欠けている。