<社説>「親の免責」初判断 市民感覚に沿う常識的判決


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 子どもが起こした事故の責任は、親がどこまで負うべきなのか。初めて一つの基準が示された。

 最高裁は9日、これまで被害者救済を優先し、ほぼ無条件で賠償責任を負わされてきた親の立場を大きく変える判決を言い渡した。
 事故は11年前に愛媛県で起きた。放課後の校庭で当時小学6年の男児がサッカーの練習中、ゴールに向け蹴ったボールが道路へ転がり、通行中のバイクに乗った80代の男性が転倒して足を骨折。男性は寝たきりとなり約1年半後に誤嚥(ごえん)性肺炎で死亡し、遺族が男児と両親に賠償を求め提訴した。
 最高裁は今回、その場にいなかった両親が監督義務を怠ったとして1千万円超の賠償を命じた一、二審判決を破棄し、訴えを退けた。
 その上で「危険ではない通常の行為で、予測できずにたまたま人を死傷させた場合、親は責任を負わない」との初判断を示した。
 転倒した男性の遺族の気持ちも理解できる。だが、親の監督義務を免責する一定の基準を示した今回の判決は「不慮の事故まで家族に責任を負わせるのは酷だ」とする市民感覚に沿った現実的、常識的な判断といえるだろう。
 今後、子どもと同様に責任能力がないと判断された認知症の高齢者らによる事故の賠償責任にも、一定の影響を与えるとみられる。
 ただ、子どもが危険な行動をしないよう指導監督する義務が親にあることは変わらない。今回、免責される具体例などは示されていない。監督義務者が賠償責任を負うかどうかは、ケースに応じて裁判所が判断することになる。免責はあくまで不慮と推認される条件下で認められただけで、親の責任が重いことに変わりはない。
 多くの人がいる公園でバットを振るとか、自転車で暴走するなど、子どもが危険な行為によって事故を起こした場合には、親が責任を問われるのは当然だ。
 課題は、監督義務者が免責され、被害者の補償が十分なされなかった場合の対応だ。救済も受けられず、泣き寝入りするようなケースを避けるため、学校や公園を管理する行政は一層、安全に配慮する必要がある。地域社会、大人側の目配りは不可欠だ。また、賠償保険のシステムを拡充させるなど新たな救済の仕組みをどう整えていくかが求められる。
 被害者救済の道が狭められることがあってはならない。