<社説>安全保障法制 「平和支援」は偽装に等しい


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 見せ掛けの名前を変えて物事を売り込むのは偽装に等しい。この法案はまさに羊頭狗肉(ようとうくにく)ではないか。

 政府は自衛隊の海外派遣を可能にする恒久法の名称を「国際平和支援法」とする方針を固めた。「平和支援」の美名を用い、実態を覆い隠すのは姑息(こそく)に過ぎる。
 安倍政権のこうした手法は一貫している。残業代ゼロの異名がある「ホワイトカラー・エグゼンプション」は「高度プロフェッショナル労働制」に言い換え、目先を変えた。武器輸出三原則撤廃は「防衛装備移転三原則」と改め、印象を薄めた。
 最たるものは集団的自衛権行使を含む一連の軍事制限解禁を指す「積極的平和主義」だ。およそ平和とは正反対の内容で、目先を変えるにも程がある。政府は取り繕うのをやめ、実態をありのまま説明し、国民的論議を求めるべきだ。
 今回の「新たな安全保障法制」では自衛隊の海外での活動範囲を広げ、武器弾薬の提供や戦闘機への給油も可能にする。これらはまさに兵站(へいたん)である。兵站を担えば戦争参加と見なすのは世界の常識だ。日本が戦争に参加していいのか。
 周辺事態法を改正して地理的制約を撤廃するのも危険過ぎる。専守防衛どころか「極東」の範囲も飛び越え、文字通り地球の反対側へも自衛隊を派遣することになる。
 これまでの「周辺事態」の概念に変え「存立危機事態」なる言葉も編み出した。イラン沖の機雷も「国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険」に該当するという。機雷除去は宣戦布告なき開戦に等しい。原油のために他国と戦争するのである。
 戦前の「満蒙(まんもう)は生命線」の言葉を想起させる。かつてこの言葉で国民の恐怖心をあおり、日中戦争に引きずり込んだ。だが戦後、満州(まんしゅう)も蒙古(もうこ)も失って日本は絶滅したか。「存立危機」も同様の虚構だ。
 法案提出の手順もおかしい。法制は新たな日米防衛協力指針と連動するが、27日の日米外務・防衛相会談で新指針に合意した後、法案を国会に提出するという。「もう米国と約束したから法制定は義務だ」と主張するのは目に見えている。他国との約束を隠れ蓑(みの)に議論を封じ込めるやり方は許されない。
 この安保法制は国の形を変えると言っていい。それなら国民的に論議すべきで、その上で国会に提出し、結論が出た上で米国と規定を取り交わすのが筋である。