<社説>砂上の日米同盟 人権と民主主義の無視だ 敵意に囲まれ持続は不可能

 日米同盟強化をうたえばうたうほど、よって立つ基盤のもろさが目立つ。まさに砂上の楼閣だ。

 安倍晋三首相がオバマ米大統領と会談し、「日米同盟は格段に強化されている」と述べた。米軍普天間飛行場の辺野古移設について、翁長雄志知事の反対は伝えたというが、「辺野古移設を唯一の解決策とする立場は揺るぎない」とも強調した。沖縄の民意など無視するという宣言に等しい。
 だが沖縄の反対こそ「揺るぎない」ものだ。民意を顧みぬ政府への憤りは臨界点に達しつつある。強い敵意に囲まれた基地が機能できるのか。両政府はその脆弱(ぜいじゃく)な基盤をこそ直視すべきだ。

言葉と逆の現実

 それにしても奇妙な光景だった。両首脳の交わす言葉の一つ一つが、見事なほど言葉とは裏腹の現実を照らし出していた。
 安倍首相は「自由、民主主義、人権、法の支配など基本的価値の上に立つ日米同盟」と口にした。
 だが辺野古をめぐる現実はどうか。つい先日まで漁師が自由に航行できた海は突然、法的根拠もあやしい「臨時制限区域」なるものが設けられ、民間人は閉め出された。キャンプ・シュワブのゲート前では昨日まで歩けた範囲に突然、線が引かれ、一歩でも足を入れた途端、後ろ手に拘束する。航行や歩行の「自由」はあっけなく奪われたのである。
 名護市長選でも知事選、衆院選でも辺野古移設の推進・容認派は全敗し、反対派は完勝した。にもかかわらず移設工事を強行しようとする政府は、「沖縄には民主主義を適用しない」のであろう。
 例えば他の地域で知事や市長が反対する中、原発建設を強行できるだろうか。他府県では到底できない行為を沖縄に対してだけなすのは、差別と呼ぶほかない。
 新基地を建設するか否か、沖縄には口出しできないとする態度は、沖縄の人々には自分の土地の将来を決める権利もないということである。これで「民主主義、人権など基本的価値の上に立つ」などと、よく言えたものだ。
 「法の支配」とは、処罰するか否か、統治者や権力者が恣意(しい)的に左右できない公平性を意味する。だが辺野古では前述のように「制限区域」なる勝手な線引きも政府の思うがままである。サンゴの破壊が明らかでも、環境保護を所管する県の立ち入り調査は認めないが、工事の船は自由に往来する。このどこが「法の支配」なのか。皮肉なものである。

「唯一」は日本だけ

 ただ、共同記者会見の内容は注意深く見た方がいい。日本政府は「辺野古移設推進で両首脳が合意した」と盛んに宣伝するが、オバマ氏は「辺野古」の単語を発しておらず、「在沖海兵隊のグアム移転を進める」と述べただけだ。米側が辺野古を最上と考えているかどうかは分からない。「唯一」と叫ぶのは日本側だけである。
 首脳会談でオバマ氏が尖閣を「日米安保条約5条の適用対象」と述べた点も誤った解釈が横行している。まるで尖閣のために米軍が中国と戦争するかのように言いなす人がいるが、幻想だ。
 第5条は両国がそれぞれ自国の憲法の手続きに従うとうたう。米国憲法は「戦争宣言」の権限は米議会にあると定める。開戦するか否か議会が決めるのだ。5条を適用するというのは「議会に諮る」という意味にすぎない。そして、東シナ海の無人の岩のために米国の若者が血を流していい、と議会が考えるはずはないのである。
 翁長知事が緊急会見し、首相が辺野古移設の意思を示したことに「遺憾だ」と述べたのは当然だ。辺野古という「固定観念」から一歩も出ようとしない政府の態度はまさに「政治の堕落」である。
 知事は訪米して米国世論に訴える考えも示した。賛成だ。日本政府の頑迷固陋(がんめいころう)は病的だが、知事の言う通り米国は「いろんな考えを吸収しながら意思決定をする」からだ。繰り返し訴えるほかない。