<社説>首相米議会演説 米追従姿勢は本末転倒だ


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 米国への追従を誓う言葉を羅列しながら自国民への配慮が見えない。過去の戦争への反省はうかがえず、歴史観の希薄もあらわとなった。本末転倒の内容である。

 安倍晋三首相が日本の首相として初めて米連邦議会の上下院合同会議で演説した。全体として日米同盟の意義を強く誇示する演説には大きな欠落がある。国民が不在なのだ。
 例えば安保法制に関する発言がそうだ。安倍首相は、集団的自衛権行使を可能とするような安全保障関連法案に関して「戦後初めての大改革です。この夏までに成就させます」と約束した。
 安保法制は次期国会で対立法案となるはずであり、慎重な審議が求められる。ところが安倍首相は法案提出前であるにもかかわらず、夏までの法案成立を米議会で言明した。これでは国会が「消化試合」になる。甚だしい国会無視であり、到底容認できるものではない。
 集団的自衛権行使をめぐって、国民世論は大きく割れている。憲法解釈変更の閣議決定に対しても反発の声が上がった。「積極的平和主義」の掛け声の下、日本が再び「戦争のできる国」となることを国民は危惧している。安倍首相は国民の不安に目を向けるべきではないか。
 過去の戦争に対する姿勢にも批判が出ている。
 安倍首相は「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました」と述べた。「アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない」とも述べたので、村山談話など歴代内閣の見解を引き継いだと説明する。
 だが、演説の中に「侵略」や謝罪の言葉はなかった。「紛争下、常に傷ついたのは女性でした」と述べたが、「慰安婦」という言葉を使用することは避けた。歴史と真摯(しんし)に向き合う姿勢が感じられない。中国や韓国のメディアから「謝罪どころか自賛だけ」という批判が上がった。安倍首相はこのような批判を直視すべきだ。
 演説の中で安倍首相は「民主主義」という言葉を多用した。しかし、沖縄での選挙結果に背き、辺野古での新基地建設を強行する安倍政権の姿勢は民主主義とは正反対ではないか。
 米国への追従姿勢に終始し、国民、県民、日本の侵略行為によって傷ついたアジアの人々を置き去りにするような演説であった。歴史に耐え得るとは言い難い。