<社説>ミサイル部隊 壮大な無駄遣いはやめよ


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 「強大な軍隊の足音より大きいのは、やってきた幻想である」。劇作家ビクトル・ユゴーの言葉だ。その言葉通り、まさに幻想としか言いようのない壮大な無駄遣いが大きな足音と共にやってくる。

 防衛省が石垣島にミサイル部隊配備を検討していることが分かった。地対艦ミサイル、地対空ミサイルを運用する。ミサイルは中距離対空誘導弾(中SAM)を配備するという。
 中SAMは戦闘機や爆撃機のほかミサイルも撃ち落とすという触れ込みだ。だが航空機ならともかく、ミサイルの撃墜が実際の局面で本当に可能なのか。実戦では、迎撃実験でのように相手の発射を事前に把握し、あらかじめ弾着場所付近に待機するのは難しい。
 推進派は技術向上で命中率が格段に高まったと強調する。しかし弾道の高さや角度によっては今も技術的に極めて困難なはずである。
 しかも本気で狙うなら発射が1、2発で済むはずがない。ひとたびミサイル発射の局面に至れば、攻撃対象は、幸運にも数発は避けられたとしても、いずれ火の海になるのは避けられないのだ。だとすれば配備は軍産複合体の利益のためとしか思えない。沖縄のように逃げ場のない島なら、撃たれるような局面になるのを外交で何が何でも回避するしか道はない。
 宮古の着上陸訓練場にも同じことがいえる。注意したいのは、これは離島「奪還」の訓練であるということだ。離島「防衛」ではない。離島を攻める場合、敵は拠点地として周りの海のどこでも任意に選ぶことができる。離島からすれば敵は360度どの方向か分からず、距離も近場から遠くまでどこでもあり得るのだ。照準が無限に存在するのだから、実戦なら離島の「防衛」はまず不可能である。
 だとすれば真の意味で離島を防衛するなら、相手国との対立を非軍事的に、平和的に解決するしかないのだ。力と力で対抗するのは、逃げ場のある地域の発想である。
 着上陸訓練もミサイル防衛も、実際に島を守るためには役立たないのなら、配備はしょせん陸上自衛隊の組織防衛のためでしかない。そのような既得権益の組織存続・拡大のために、他国との対立をあおり、沖縄を危険な戦争ゲームの場所にするのは許されない。
 そもそもこれらの配備を秘密裏に検討すること自体おかしい。防衛省は早急に情報開示すべきだ。