<社説>裁判員制度6年 課題解決は司法の責任


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 裁判員制度がスタートして6年が経過した。

 この間、死刑判決において市民感覚に基づく判断と判例とのバランスをどう図るかなどの課題が浮き彫りになった。審理参加に伴う裁判員の負担軽減も改善されてはいない。
 「国民の司法参加」を十分に達成するため、司法側にはこれらの課題を解決する責任がある。
 最高裁の集計によると、ことし3月までに死刑判決が言い渡された被告は23人いる。そのうち、裁判官だけの高裁で「重過ぎる」と破棄されて無期懲役となったケースが3件あり、いずれも最高裁で確定している。
 公正な裁判を維持するために三審制度がある。一、二審の誤りを正すことは最高裁に課せられた役目であり、裁判員裁判も例外ではない。3件の最高裁判断は慎重に審理を尽くした結果と受け止めたい。
 最高裁司法研修所が裁判員裁判での量刑判断の在り方をまとめた研究報告書は、死刑判断は公平に刑を科す観点から判例重視の姿勢を打ち出している。
 ただ、市民感覚を量刑に反映させることは裁判員制度の目的の一つである。
 そもそも裁判員裁判は殺人や放火などの重大事件が審理対象であり、市民感覚を反映させれば、量刑が判例よりも重くなることは十分予想されることである。
 市民感覚と判例のずれを埋めることは容易ではない。裁判員裁判で市民と共に審理する裁判官が責任を持って専門家の立場からしっかりと説明し、これまで以上に徹底的に審理を尽くすことを求めたい。ただ、その際も裁判官は裁判員の自由な発言、判断を保障するように努める必要がある。
 重大事件の裁判に国民を関わらせることに評価がある一方で、重い判断に加わることに負担を感じる裁判員もいる。
 残虐な事件では証拠を見聞きしたり、判断を迫られたりで、裁判員には大きな精神的ストレスがのしかかる。そのケアをどうするかも大きな課題である。裁判期間中の託児サービスを求める声もある。
 最高裁は制度導入によって、司法がより身近なものとして信頼が一層高まることを期待していた。そのためにも安心して審理に集中できるような環境づくりが司法側には求められる。