<社説>戦跡文化財指定 保存で沖縄戦の実相継承を


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 県教育庁が沖縄戦の戦争遺跡を県指定文化財にする作業に着手した。これまで戦跡の文化財指定は市町村だけだった。県が指定すれば複数の自治体にまたがる広域な戦跡も対象となり、保存の機運が高まる。戦後70年の節目に動き出した県の取り組みを評価したい。

 沖縄戦の実相を伝える取り組みはこれまで、体験者による証言が最も重要なものと位置付けられてきた。戦争を知らない世代にとって、直接体験者から当時の状況を語ってもらうことほど説得力のあるものはない。
 しかし体験者は高齢化が進み、当時の様子を語れる人は年々減少している。ひめゆり平和祈念資料館はことし3月、1989年の開館以来続けてきた生存者による館内講話を、体力の限界などを理由に終了した。
 体験者がこの世に存在しない時代が必ず到来する。そのためにも、市町村史編さんなどで取り組まれてきた多くの証言を記録に残す作業も引き続き重要となってくる。
 同時に体験者の証言と共に欠かせないのが、住民らが逃げ込んだガマや日本軍が構築した陣地壕跡などの戦争遺跡の保存だ。現地を訪れ、空間に身を置くことで、当時の様子を体感し、想像することができる。
 南風原町が1990年、沖縄陸軍病院南風原壕を全国で初めて戦争遺跡として文化財指定して保存を決めたのもこうした理由からだ。現在、県内には市町村単位で戦争遺跡を文化財に指定しているのは17カ所ある。
 一方で戦争遺跡に廃棄物が不法投棄されたり、遺跡そのものが消失する事態も起きている。沖縄戦の激戦地だった浦添市の前田高地の戦闘を知ることができた前田高地後方陣地跡は、市の区画整理事業に伴う工事で昨年に取り壊された。同じく激戦地だった那覇市真嘉比大道森の陣地壕跡も道路拡張のため壊された。都市開発も必要だが、残すべき戦跡は保存するという「線引き」が必要ではないだろうか。
 今回、県教育庁が着手した戦争遺跡の県文化財指定は、残すべき戦跡を保存するための道筋をつくる意義深いものだ。沖縄戦は本土防衛という名目の下、沖縄住民が「捨て石」にされ、多くの犠牲を強いられた。軍隊が住民を守らないという沖縄戦の実相を正確な形で後世に継承するためにも、戦争遺跡の保存は絶対に欠かせない。