<社説>菅氏工事継続発言 「法治」が聞いてあきれる


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 日本は今、法が支配する法治国家でもなければ民主主義国でもない。それどころか、ひょっとすると近代国家でもないのではないか。そう疑わしめる発言である。

 辺野古の新基地建設計画をめぐり、菅義偉官房長官は、翁長雄志知事が埋め立て承認を取り消しても工事を続ける考えを示した。
 菅氏はこれまで、建設を強行する根拠として仲井真弘多前知事の承認を強調し、「法治国家として進める」と繰り返してきた。肝心の承認が取り消されれば法的根拠は空白になる。
法的根拠が存在しないのに強行するなら「法治国家」といえるのか。
 前知事の承認の権限は重視して現知事の取り消しの権限は無視する。今回の菅氏の発言にはそんな姿勢が透けて見える。
 統治する権力者が恣意(しい)的に独断で権力を行使する。「法の支配」はそんな中世、近世の専制国家に対する反省から生まれた。あらかじめ定めてあるルールを、誰に対しても平等に、公正に適用する。これが「法の支配」の基本原理である。時の政権に都合がよければ重く見て、都合が悪ければ無視するのは、「法治」どころか「人治」そのものだ。「法の支配」が聞いてあきれる。
 防衛省が大浦湾に投下した数十トンのコンクリートはサンゴを破壊した。県の許可を得たというが、県は錨(いかり)の投下を許可したのであり、巨大なコンクリートが錨といえるかという疑問もある。投下先が許可水域を逸脱した疑いも濃厚だ。その確認のための県の作業停止指示に対し、防衛省は農水省に指示取り消しを申し立て、農相は県の指示を無効とした。政府の申し立てを政府が認める。こんなご都合主義のどこに公正性があるか。
 近代国家か否かを疑ったのは、現政権が公正性を欠くからだけではない。名護市長選、知事選、衆院選で沖縄は再三、民意を明快に示した。その民意など蹴散らすと言わんばかりの、専制国家と見まがう強権的姿勢だからである。
 そもそも前知事の承認が何かの根拠になり得るのか。仲井真氏は前回、「県外移設」を公約に掲げ当選した。その人物が突如として県内移設の埋め立てを承認し、承認後の選挙で現職では前代未聞の大差で敗れた。その承認は民主主義的正当性が決定的に欠けている。法治という点でも民主主義の観点からも、新基地建設に正当化の余地はない。