<社説>安保法案審議 本質論なら廃案しかない


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 集団的自衛権行使の法制化など自衛隊の活動拡大を図る安全保障関連法案は、26日から国会での審議が始まった。

 26日の本会議、27日の平和安全特別委員会の議論を聞いて思うのは、安倍晋三首相をはじめ、政府答弁があまりにも雑なことだ。
 「自衛隊員のリスク増大」に対して、首相は「リスクは残る」と明言したものの、活動拡大に伴って危険が増すことには触れなかった。中谷元・防衛相は審議前に「増大はない」とさえ言っていた。
 米軍と一体化した後方支援は、直接戦闘に関わらずとも、紛争当事者から見れば標的となることは間違いない。首相は「法制の中で極小化する措置を規定している。国民の命と平和な暮らしを守り抜くため、隊員に負ってもらうものだ」と語った。
 国民を守るのであれば、武力を伴う行為に手を貸すのでなく、戦後日本が築いてきた「平和国家」としての誇りを懸け、外交努力にこそ注力すべきではないのか。自衛隊員の犠牲を容認するかのような話を認めるわけにはいかない。
 自衛隊を派遣する地域については、現在戦闘が行われないだけでなく、活動期間中に戦闘行為がないと見込まれる場所を指定するとした。この点を問われた首相は「活動を行うために安全が確保されねばならない」と繰り返した。
 しかし実際の紛争地域では、事態は常に流動的であり、組織的戦闘だけでなくテロの可能性もある。政府が認めた場所が「安全」かどうかを確認するすべはほぼない。
 思い出されるのは2004年11月、イラク復興支援特措法が定める「非戦闘地域」の定義について問われた小泉純一郎首相(当時)が「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域」と言い放ったことだ。
 安倍首相の答弁は言葉こそ丁寧だが、言っていることは本質的に変わらない。
 安保法案に関する論点は多いが、各種の世論調査で慎重な論議を求める意見が目立つ法案に対し「今国会での成立を期す」と首相が表明したのも筋違いだ。議論する気がなく、ゴールありきならば国民軽視といえる。
 憲法が禁じる海外派兵にも例外を認めるなど、関連法案の本質は国家の在り方を変え、憲法の理念を踏みにじる行為だ。国会で本質に踏み込んだ議論が行われれば、廃案しか道はないはずだ。