<社説>文官統制全廃 大切な原則が葬られた


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 戦後日本の非軍事的な在り方を支えてきた大切な原則が、また一つ葬り去られた。そんな暗澹(あんたん)たる思いを禁じ得ない。

 改正防衛省設置法が参院で可決、成立した。防衛大臣が自衛隊に指示・承認を下す際、文官の防衛官僚(背広組)が必ず関与し補佐する仕組みが撤廃された。2009年の防衛参事官制度廃止と併せ、「文官統制」の仕組みがこれで完全になくなる。
 軍事面の制限撤廃に前のめりな安倍政権の特質がここでも表れた格好だ。平和国家日本は従来の姿勢を確実に転換した。国民的議論がないままの転換に暗然とする。
 保守派は「文官統制」にかねて批判的だった。シビリアンコントロール、すなわち文民統制は、選挙で選ばれた政治家による統制を指し、背広組優位を意味するのではない、と主張してきたのだ。
 ではなぜ民主国家は文民統制を強調するのか。よほど強調していないと実現が難しいからである。
 そもそも軍事は機密のベールに隠されがちな分野だ。言い換えれば、軍事情報は軍隊がいつも独占的に保有し、民間はほとんど保有できないのが常だ。軍と民で「非対称的」な分野なのだ。
 そうした専門知識を独占的に持つ軍人が作戦や武器を要求すれば、その必要性を非軍人の政治家が批判的に検証するのは難しい。そこで、専門知識を持つ文官に補佐してもらい、文民統制を確実にしようというのが「文官統制」の仕組みだったのである。
 第1次大戦後、軍縮政策に反発した軍部は政治に対し「統帥権干犯」と主張した。統帥権、すなわち軍の統制権は独り天皇のみにあり、政治の関与はそれを侵すものと非難したのだ。政治が萎縮した結果が関東軍の暴走による満州事変、日中戦争の泥沼化である。
 情報を独占する組織は、なかんずく武力を持つ組織は、外部の制御が失われれば暴走しかねない。それが、この日本が筆舌に尽くし難い犠牲を経て獲得した教訓なのである。
 今回の法改正は、その教訓をかなぐり捨てた結果としか思えない。そうでないと言うのなら、逆に文民統制を完全に担保する仕組みをつくるべきだ。むしろ「軍(自衛隊)は政府の判断・決定に、常に従わなければならない」という法的規定を、直接的かつ明示的に定めるべきではないか。