<社説>普天間騒音訴訟 法治国家と言えるのか


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 米軍普天間飛行場騒音訴訟の判決で那覇地裁沖縄支部は国に約7億5400万円の支払いを命じた。「騒音被害は深刻かつ広範だ。受忍しなければならない程度とは評価できない」と明言している。

 国の防音対策も飛行場の違法性軽減に影響しないと一蹴した。違法性は明確だ。法治国家であるなら国は飛行停止を求めるべきだ。
 普天間飛行場をめぐっては2002年に第1次爆音訴訟が始まった。08年には一審で国に賠償を命じ、10年の控訴審で賠償は増額された。賠償を命じるのは今回で3回目となる。
 嘉手納基地でも3次にわたり爆音訴訟があり、1次、2次では一審と控訴審でそれぞれ賠償が命じられた。1県だけで爆音をめぐる国への賠償命令が7回も下ったのだ。こんな県がどこにあるか。
 裁判所が賠償を命じるというのは、沖縄の現状が合法の範囲を逸脱すると認めたに等しい。賠償命令が繰り返され、一向に改善されないのなら、違法は常態化するということになる。
 では、違法状態の原因者である米軍基地を国が撤去しようとせず、違法な飛行を止めようともしない沖縄は、国が違法状態の永続を住民に強制しているということだ。一地域に永続的違法を強制する国が、法治国家と言えるのか。
 安倍晋三首相は4月、米議会で、中国の海洋進出をけん制して「広い海を法の支配が貫徹する海に」と演説した。自国で法治を貫徹せずして、よく演説できたものだ。
 在日米軍基地は日米地位協定で米軍の排他的管理権を定めている。基地の使い方について日本政府は一切口出しできないとする、イタリアやドイツならあり得ない屈辱的規定だ。このため国内法は適用されないから、航空法に反する低空飛行が平然と繰り返される。
 それだけではない。地位協定は賠償金の分担を定めているが、爆音訴訟の賠償は米側が拒否している。特権的で不平等な地位協定すら守らせられずして、「法の支配」もあるまい。
 安倍首相は米国で「自由、民主主義、人権などの基本的価値」も強調した。沖縄の自由も民主主義も人権もないがしろにしておいて、矛盾を感じないのだろうか。
 安倍政権は前知事に対し19年2月までの普天間の運用停止を約束した。だが日米首脳会談では交渉どころか、言及すらしていない。無責任国家ここに極まれりである。