<社説>国際殿堂入り 具志堅さんの努力に学ぼう


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 郷土の英雄の晴れがましい笑顔に、往時の勇姿を思い起こした人たちも多かったはずだ。

 ボクシング界の功労者を表彰する国際ボクシング殿堂の式典が米国であり、殿堂入りした元世界ライトフライ級王者の具志堅用高さん(59)が「この素晴らしい日を忘れない」と喜びを語った。
 13連続王座防衛の日本記録を持つ王者の殿堂入りをあらためて祝福し、その功績をたたえたい。
 「『具志堅』と叫ぶ数千人の大観衆でいっぱい…二階前列の一角からは『チバリヨー具志堅』の声援がひっきりなしに飛ぶ…沖縄に移ったような錯覚をよび起こすほど、会場は沸きに沸いた」
 具志堅さんの王座奪取を伝える1976年10月の本紙は、多くの沖縄出身者が訪れた山梨県の会場の熱狂をこう伝えた。当時は具志堅さんの試合のたび、テレビの前でも多くの県民が歓声を上げた。
 具志堅さんが王座にあったのは、沖縄が海洋博覧会後の景気悪化に苦しみ、中央との系列化が進行していた時代だ。自信や主体性を見失いがちだった県民を大いに奮い立たせてくれる存在だった。
 本土生活で沖縄への差別を感じていた県出身者には、もっと大きな存在だった。具志堅さんと同郷の石垣市出身の渡久山長輝・前東京沖縄県人会長は「その闘志と、目標を一つ一つ実現するさまに本当に勇気づけられた」と述懐した。
 作家の大城立裕さんは、自身や同じく県出身の東峰夫氏の芥川賞受賞から、復帰を挟んだ具志堅さんの活躍に関し「ローカル文化に自信をつけ、劣等感がなくなった。沖縄の精神文化を築き上げる時代と重なっていた」と分析する。具志堅さんは県民のアイデンティティー形成にも大きな影響を与えた。
 偉大なその記録は、努力の結晶であることにも触れておきたい。「体格に恵まれていたわけでも、パンチがあったわけでもない。いつも疲れ果てるぐらいに練習をこなし、休むことがなかった」(恩師の金城真吉氏)。努力でさまざまなハンディを克服していったその足跡に、私たちはもう一度学びたい。
 「夢を持っている人が少なくなっている。頑張らない人は自分に負けてしまう」。沖縄への感謝を繰り返しつつ具志堅さんは後輩にエールを送った。具志堅さんのように世界に羽ばたく若者が各界から数多く輩出することを期待したい。