<社説>解雇解決金制度 市場原理主義の恐ろしさ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 近年の新自由主義的、市場原理主義的な労働法制改定もここまで来たかと驚きを禁じ得ない。

 政府の規制改革会議は、不当解雇の判決が出た際、職場復帰でなく金銭の支払いで雇用を終了できる「解決金制度」導入を検討するよう答申した。2002年、06年と厚生労働省の審議会で浮上、そのたびに労働界の反対で葬られたいわく付きの政策だ。これが認められれば、雇用だけは確保されるという労働者にとって最低限のセーフティーネット(安全網)が失われる。容認できない。法制化は避けるべきだ。
 答申の背景には一部財界の雇用保護への敵視があろう。最近も竹中平蔵元総務相が「日本の正社員は世界で最も守られている」と発言していた。
 だが、発言は明らかに事実と異なる。経済協力開発機構(OECD)の雇用保護指標2013によると、日本の一般労働者の雇用保護の度合いはOECD加盟34カ国中、下から10番目だ。先進国の中では現状でも低水準なのである。
 そもそも雇用者と労働者では力関係が違う。労働者は圧倒的に不利だ。だから産業革命以降、過酷な労働を強いる事態が頻発した。それが社会問題化した結果、19世紀以降、人類はそれを克服する仕組みを徐々に整えてきた。戦後の労働法制はその反映なのである。
 現在は不当解雇であれば現職復帰が原則だ。それが有形無形に働き、安易な解雇を抑制してきた。解雇規制が撤廃されると「金さえ払えば自由に解雇できる」との風潮が広まるのは目に見えている。
 中小企業の社員は不当解雇で泣き寝入りする例が多く、雇用が保護される大企業との間で不公平がある。そんな理屈で解決金制度に賛同する人もいる。だがそれなら保護の網の目から漏れる例をなくす仕組みをつくるべきではないか。
 今も訴訟上の和解などで解雇を受け入れる代わりに金銭補償を受け取る例は多い。金銭補償のルール化が必要との意見もある。だが不当解雇禁止の重しがなくなると金銭補償も軽視されるのは自然な成り行きだ。欧州の例が実証している。労働者に一方的に犠牲を強いるのである。
 「解雇特区」や「残業代不払い法案」など、安倍政権の市場原理主義の姿勢は鮮明だ。だが市場原理主義は社会の安全安心を奪う。成長戦略どころか、不安ゆえの消費引き締めを招くのである。