<社説>安倍首相謝罪 「異論排除」の体質改めよ


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 自民党勉強会の報道圧力や沖縄2紙などをめぐる発言に関して、安倍晋三首相は「国民に対し大変申し訳ない。沖縄県民の気持ちを傷つけたとすれば申し訳ない」「最終的には私に責任がある」と述べ、ようやく自らの非を認めた。

 勉強会から8日後だ。遅過ぎる。しかも「傷つけたとすれば」という仮定付きだ。真に心から沖縄に向けた言葉かどうか疑わしい。
 報道圧力が表面化した翌日、首相は「報道の自由は民主主義の根幹」と語ったものの、謝罪を避け、関係者の処分にも消極的だった。
 首相は今月中旬とされる安全保障関連法案の衆院採決を視野に入れ謝罪したのだろう。世論の批判が強く、法案審議が滞りかねないと、問題を収拾させ環境整備を図ろうとの思惑があったと推測される。謝罪はあくまで安保関連法案を優先したものだ。県民より先に公明党に謝罪したことでも明らかだ。
 今回の報道圧力問題の根底には「異論は許さない。排除する」という安倍政権の本質が流れている。
 安倍政権は「公正中立」を名目に、これまで何度も政治報道に注文を付けてきた。衆院選前の昨年11月、テレビ各局に衆院選報道の「公正の確保」を求めた文書を出した。同月下旬にはテレビ朝日のアベノミクス報道を批判し「公平中立な番組づくり」を要請した。
 さらにことし4月、党の調査会が報道番組でのやらせが指摘されたNHKと、コメンテーターが首相官邸を批判したテレビ朝日の幹部を党本部に呼んで事情聴取した。
 安倍首相自身、官房副長官だった2001年1月、日本軍「慰安婦」問題を取り上げたNHK番組に対し、放送前にNHK理事と面会し、「公正・中立にやってほしい」と注文を付けたこともある。
 政権側は「表現の自由は憲法で保障されている」と圧力を否定するが、結果的に報道機関が萎縮し、言論の自由を脅かす恐れをはらむ。
 政権や与党議員が、報道が気に入らないから圧力をかけよう、排除しようとするのは、憲法21条が保障する「表現の自由」を踏みにじる行為だ。言論、表現、報道の自由は民主主義の根幹を成すものであり、マスメディアが権力を監視、検証して批判することは当然の責務だ。
 これらのことを十分理解し、異論排除の体質、謙虚さを欠いた政権姿勢を改めない限り、真の謝罪とはいえない。