<社説>産業革命遺産 歴史の影と向き合おう


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 「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が決まった。西洋以外で初めての本格的産業化をわずか50年で達成したことが高く評価された。誠に意義深い。

 一方で、今回の登録にはもう一つ、重い意義があろう。
 登録施設の歴史的位置付けをめぐり、日本と韓国は決定間際までもめ続けた。その過程は、史実を正視することの重要性を突き付けた。歴史には光と同時に影もある。その影と誠実に向き合う必要性を、この機会に深く胸に刻みたい。
 韓国側は、登録施設の一部で朝鮮半島出身者が強制労働させられたとして当初、登録に反対した。日本側は、遺産の対象年次は韓国併合の1910年以前であり、徴用は40年代だと反論したが、いかにも苦しく聞こえる。これらの施設が明治以後も存続し、戦時に植民地から多数の徴用工が動員され、働かされたのは間違いない。歴史の連続性を無視していると受け取られても仕方ない議論だった。
 結局、日本側が譲歩した。「その意思に反して連れてこられ、厳しい環境で働かされた多くの朝鮮半島出身者がいた」と陳述し、韓国側と折り合った。ただ国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関は、以前から「歴史の全容」が分かるような準備を求めていた。真摯(しんし)に受け止めていれば、もっと早く解決できたのではないか。
 とはいえ、論議を重ねて双方が一致できる表現を見いだした経験は貴重だ。ぜひとも今後の関係改善に生かしてほしい。
 日本側は犠牲を記憶にとどめるための施設を検討するとの考えも示した。その場しのぎに終わらせず、負の歴史をしっかり学べる施設にしてもらいたい。それでこそ国際社会の信用も得られよう。
 ただ、火種は残っている。韓国側は日本の陳述が強制性を認めたと受け止めているが、日本側はなお強制労働を認めていないからだ。
 日本側は徴用工の損害賠償請求続発を懸念している。確かに日韓正常化の時点で請求権は「決着済み」となったが、この姿勢が妥当と言えるのか。
 「意に反して厳しい環境で働かせる」ことはまさに「強制」ではないか。徴用を拒否する自由も離職の自由もなかったのは明らかだ。強制性を否定するのは無理がある。
 日韓の関係改善はなお途上にある。加害の側面にきちんと向き合うことがその第一歩ではないか。